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最終更新日:2012年04月02日(月) 16時33分 |
ことわざ辞典 (総登録数:515) | 編集者:トモノリスキー |
ことわざは日本の文化といっても過言ではありません。スピーチやビジネス、日常会話などさまざまなシーンで役に立つはずです。
あ |
ああ言えばこう言う (ああいえばこういう)
人の言うことを素直に受け入れず、ああだこうだと理屈をこねて言い返すこと。
【類】
右と言えば左。
挨拶は時の氏神 (あいさつはときのうじがみ)
争い事のとき仲裁人が入ったなら、意地や見栄は捨てとりなしに従った方がいいということ。(「挨拶」は仲裁者。「時の氏神」は、都合よく現れた救いの神の意。)
[←先頭へ]相手のない喧嘩はできぬ (あいてのないけんかはできぬ)
相手になる者がいなければ喧嘩にならない。喧嘩は売られても相手になるなという戒め。
【類】
一人喧嘩はならぬ。相手なければ訴訟なし。
阿吽の呼吸 (あうんのこきゅう)
互いの微妙な気持ちや調子が一致することを呼吸でたとえた言葉。(「阿」は吐く息。「吽」は吸う息のこと。)
[←先頭へ]青柿が熟柿弔う (あおがきがじゅくしとむらう)
熟して落ちた柿の実を見て、まだ青い柿が、お気の毒に、と弔う。だが、その青い柿もいずれは熟して落ちる定めにある。人間はいつかは死ぬ運命にあるから、人の死を弔う者にも弔われる者にも、そんなに差はないというたとえ。
[←先頭へ]青菜に塩 (あおなにしお)
元気がなく、うなだれている様子。青野菜に塩を振ると脱水してしおれてしまうことから。
【類】
蛞蝓(なめくじ)に塩。
青は藍より出でて藍より青し (あおはあいよりいでてあいよりあおし)
布に染めた青色が、原料植物の藍より青くなる。弟子が師匠を越えたり、教えた人より教えられた人の方が優れていることのたとえ。「出藍の誉れ」とも言う。
[←先頭へ]明るけりゃ月夜だと思う (あかるけりゃつきよだとおもう)
夜外が明るいと常に月が照っていると思っている。物事を単純に考える人間を皮肉った言葉。
[←先頭へ]空樽は音が高い (あきだるはおとがたかい)
空の樽は叩くと高い音を立てる。浅薄な人ほど、知りもしないことをとくとくとよく喋るというたとえ。
[←先頭へ]商い三年 (あきないさんねん)
商売というものは始めて三年は儲けが出てこないものだ。三年は辛抱しなくてはいけないという戒めの言葉。
[←先頭へ]商いは数でこなせ (あきないはかずでこなせ)
商売は薄利多売が本道。利益は少なくして多く売るのがコツだという教えの言葉。
[←先頭へ]秋茄子嫁に食わすな (あきなすびよめにくわすな)
秋の茄子は美味だから嫁に食わせるのはもったいないという説と、秋茄子は体を冷やして毒だから、あるいは種が少ないので子種が少なくなるといけないから、嫁に食べさせてはならないという二つの説がある。前者は姑の嫁いびりで、後者は嫁を大切に扱っている。
[←先頭へ]秋の扇 (あきのおうぎ)
夏には重宝に使われた扇も、秋になると見捨てられる。男の愛が薄れ見捨てられた女のたとえ。
【故】
中国・後漢の成帝に寵愛された女性が、帝に顧みられなくなった自分を秋の扇に例えて嘆きの詩を詠んだ。
秋の鹿は笛による (あきのしかはふえによる)
鹿の発情期である秋には、雌鹿の鳴き声に似せた笛で雄鹿がおびき寄せられ、捕らえられてしまう。恋のために身を滅ぼすこと。また、弱みに付け込まれて利用されてしまうことを言う。
[←先頭へ]秋の火は釣瓶落とし (あきのひはつるべおとし)
井戸の釣瓶がスコンと一気に落ちるように、秋になると休息に日が暮れていくたとえ。
【対】
春の日は暮れそうで暮れぬ。
秋葉山から火事 (あきばさんからかじ)
人を導き、戒める立場にある者が、自分から過ちを犯してしまうたとえ。(「秋葉山」は火災除けで知られる静岡県の秋葉神社。その火の神が火災を出すことから。)
[←先頭へ]諦めは心の養生 (あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運はいつまで悔やんでいても仕方がない。諦めてしまった方が精神衛生によいということ。
[←先頭へ]商人と屏風はすぐには立たぬ (あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商人も自分の感情を曲げて、客の意に添うようにしないとやっていけないということ。「商人と屏風は曲がらねば世に立たず」とも言う。
[←先頭へ]悪縁契り深し (あくえんちぎりふかし)
悪い縁ほど強く結び付いているもので、離れるのが極めて難しいことを言う。
[←先頭へ]悪妻は百年の不作 (あくさいはひゃくねんのふさく)
悪妻は夫だけでなく、子孫にも不幸をもたらし、長く苦しめるということ。「悪妻は六十年の不作」「女房の悪いは六十年の不作」とも言う。
[←先頭へ]悪事千里を走る (あくじせんりをはしる)
悪い噂はあっという間に世間に知れ渡ってしまう。「好事門を出でず、悪事千里を行く」とも言う。良い評判はなかなか伝わらないが、悪評や悪い行為はすぐに広まるということ。
[←先頭へ]悪銭身につかず (あくせんみにつかず)
不正・不当な手段で得た金は、つまらないことに使われてすぐ手元から消えてしまうということ。
[←先頭へ]悪の報いは針の先 (あくのむくいははりのさき)
悪事の報いは針の先を回るように、即座に現れるということ。
[←先頭へ]開けて悔しき玉手箱 (あけてくやしきたまてばこ)
期待外れで落胆すること。
【故】
浦島太郎が竜宮で乙姫からもらった玉手箱を開けたところ、煙が出ただけだった。
浅い川も深く渡れ (あさいかわもふかくわたれ)
どんなに浅い川でも思わぬ危険が潜んでいるかもしれないから、深い川を渡るように注意して渡れということ。油断を戒める言葉。
[←先頭へ]朝顔の花一時 (あさがおのはなひととき)
朝顔の花は火の出前に咲き、昼にはしぼむ。物事の盛りは短くはかないものだというたとえ。
【類】
槿花一日の栄。
浅瀬に仇波 (あさせにあだなみ)
深い川の淵には波は立たず、浅い瀬ほど波が立つ。思慮が浅薄な者ほど万事落ち着きがないというたとえ。
【類】
能なし犬の高吠え。
麻の中の蓬 (あさのなかのよもぎ)
まっすぐに伸びる麻の中で育てば、曲がりやすい蓬もまっすぐに伸び育つもの。人間も、周りが善人ならおのずと感化されて善人になれるということ。「麻中の蓬」とも言う。
【類】
善悪は友による。朱に交われば赤くなる。
朝腹に茶漬け (あさばらにちゃづけ)
物事が少しもこたえないこと。また、極めて容易なことのたとえ。朝の空腹時には、茶漬けを食べたくらいでは腹の足しにならない。また、さらさらとたやすく入ってしまうことから。
【類】
朝腹の茶粥。
薊の花も一盛り (あざみのはなもひとさかり)
あまり人目を引かない薊の花にもそれなりに美しい時期がある。不器量な女性でも、年頃になれば奇麗に見えるときがあるということ。
【類】
鬼も十八番茶も出花。
明日ありと思う心の仇桜 (あしたありとおもうこころのあだざくら)
今日奇麗に咲いている桜の花は、明日も咲いているとは限らない。夜中に風や嵐にあって散ってしまうかもしれないではないか。人生もそれと同じで、明日はどうなっているか分からないから頼みにしてはいけないということ。「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。
[←先頭へ]朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり (あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝、道理を聞き納得できたなら、その晩に死んでも思い残すことはない。人の道や真理の尊さを説いた言葉。
【出】
論語
明日は明日の風が吹く (あしたはあしたのかぜがふく)
明日は、今日とは違った風が吹く。世の中は何とかなるもので、先を思い煩うことなく、今を十分に楽しめということ。
【類】
明日のことは明日案じよ。
足下から鳥が立つ (あしもとからとりがたつ)
すぐそばで突然意外なことが起こる。また、急に思いついたように慌てて何かを始めるたとえ。京都いろはかるたの一つ。
【類】
寝耳に水。
足下を見る (あしもとをみる)
相手の弱みにつけ込むこと。また、相手の弱点を握るたとえ。「足下を見られる」とも使う。
【故】
むかし、駕龍かきや馬方が旅人の足元を見て疲れ具合を探り、法外な値段をふっかけたことから。
明日のことは明日案じよ (あすのことはあすあんじよ)
明日のことは今日から心配せずに、明日になってから考えればいい。先のことをくよくよ考えるよりは、今現在を充実させて生きることが大切だということ。
【類】
明日は明日の風が吹く。
明日の百より今日の五十 (あすのひゃくよりきょうのごじゅう)
明日手に入るかもしれない百よりも、五十と少なくても今日確実に手にする方がよいということ。
【類】
末の百両より今の五十両。聞いた百文より見た一文。
東男に京女 (あずまおとこにきょうおんな)
男はきっぷの良い江戸っ子、女は優しそうな京女の取り合わせがいいということ。
【類】
越前男に加賀女。越後女に上州男。讃岐男に阿波女。京女に奈良男。南部男に津軽女。
畦から行くも田から行くも同じ (あぜからいくもたからいくもおなじ)
畦道を通って行っても、田んぼの中を行っても行き先は同じである。手段や方法が多少違っても、結果に大差はないというたとえ。「畦走るも田走るも同じこと」とも言う。
[←先頭へ]寇に兵を藉し盗に糧を齎す (あだにへいをかしとうにかてをもたらす)
敵に武器を与えたり、盗人に食料をくれてやったりする。敵の利益になるようなことをする行為。また、悪人に悪事を働くのに都合のいい口実を与えることをいう。
[←先頭へ]徒花に実は生らぬ (あだばなにみはならぬ)
どんなに格好をつけても、内容が伴わない方法では良い結果は期待できないということ。「徒花」は、きれいに咲いても実の生らぬ花。
[←先頭へ]頭隠して尻隠さず (あたまかくしてしりかくさず)
欠点や悪事の一部を隠しただけで、全体を隠しおおせたと思っていることを皮肉った言葉。キジが草むらの中に頭だけ隠して、尾が出ているのに気づかない様子から。
[←先頭へ]頭の上の蝿を追え (あたまのうえのはえをおえ)
あれこれと他人の世話を焼くよりも、自分自身のことをきちんと始末せよということ。「自分の頭の蝿を追え」とも言う。
[←先頭へ]仇も情けも我が身より出る (あだもなさけもわがみよりでる)
結果として周りの人から憎まれるのも、可愛がられ気に掛けてもらえるのも、自分の普段の心がけや行ない次第だということ。
[←先頭へ]中らずと雖も遠からず (あたらずといえどもとおからず)
ピタリと的中しているとは言いがたいが、外れているとも言えない。大体当たっているということ。「中らず」は「当たらず」とも書く。
[←先頭へ]仇を恩にして報じる (あだをおんにしてほうじる)
非道な仕打ちを受けてもその相手に恨みを残さず、逆に情けを掛けることを言う。
【類】
仇を情けにひきかえる。
彼方を立てれば此方が立たぬ (あちらをたてればこちらがたたぬ)
片方がうまくいくように義理を立てようとすれば、もう一方が具合悪くなる。双方同時に満足させるのは難しい。「立てる」は、顔を立てるという意味。
【類】
出船によい風は入り船に悪い。
あっても苦労なくても苦労 (あってもくろうなくてもくろう)
お金も子供も、あればあったでそれなりの苦労があるし、なければないで苦労をするものだということ。
[←先頭へ]暑さ忘れれば陰忘れる (あつさわすれればかげわすれる)
夏の猛暑が過ぎると物陰の涼しさやありがたさを忘れてしまう。苦しかった時に受けた人の恩も、楽になると忘れてしまいがちだということ。
【類】
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
羹に懲りて膾を吹く (あつものにこりてなますをふく)
一度の失敗に懲りて、度を過ぎて用心深くなること。「羹」は熱い吸い物、「なます」は冷たい料理。
【故】
むかし中国で熱い吸い物を口にして火傷をした者がそれに懲りて、膾のような冷たい料理まで吹いて冷ました。
【類】
蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる。
当て事は向こうから外れる (あてごとはむこうからはずれる)
こちらだけで当てにしていることは、相手の都合で外れる。「当て事と越中褌は向こうから外れる」とも言う。「向こう」は体の前、相手の意。
[←先頭へ]後足で砂を掛ける (あとあしですなをかける)
犬や馬が駆け出すとき後足で砂を蹴散らすように、世話になった人の恩を裏切るばかりでなく、去り際に重ねて迷惑を掛けること。
[←先頭へ]後の祭り (あとのまつり)
時期を逸して手遅れになること。また、後悔しても遅いことを言う。祭が済んだ翌日とも、祭が済んだ後の山車などの祭事用具だとも言われているが、解釈に諸説がありはっきりしていない。
【類】
証文の出し後れ、六日の菖蒲十日の菊。
後は野となれ山となれ (あとはのとなれやまとなれ)
自分にとって大事なことさえ終えてしまえば、後は人任せ、どうなろうと意に介さないということ。
【対】
立つ鳥後を濁さず。
穴の貉を値段する (あなのむじなをねだんする)
まだ穴の中に潜んでいるムジナの値段を、捕らえる前から予想する。当てにならないことを当てにすること。その愚かしさのたとえ。
【類】
沖な物あて。捕らぬ狸の皮算用。
姉女房は身代の薬 (あねにょうぼうはしんだいのくすり)
姉さん女房は、その家の財産を増やす薬のような存在である。年上の女房はやり繰りや夫の扱いが上手で、家庭をうまく治められるということ。「身代」は財産。
[←先頭へ]危ない橋を渡る (あぶないはしをわたる)
違法行為になるかもしれないような危険なことを、あえて行なうたとえ。
[←先頭へ]虻蜂取らず (あぶはちとらず)
虻と蜂の両方を捕ろうとして、結局、両方とも逃がしてしまう。欲張り過ぎて損をしてしまうたとえ。
【類】
二兎を追う者は一兎も得ず。花も折らず実も取らず。
脂に画き氷に鏤む (あぶらにえがきこおりにちりばむ)
脂の上に絵を画き、氷に彫刻をしても、やがては溶けて消えてしまう。いかに努力をしても報われず、徒労に終わってしまうたとえ。「鏤む」は彫刻するの意。
【類】
氷に鏤め水に描く。
油に水 (あぶらにみず)
油と水は比重が違って混じりにくいことから、しっくりと馴染まない様子を言う。「水に油」とも言う。
[←先頭へ]雨垂れ石を穿つ (あまだれいしをうがつ)
小さな雨垂れの点滴でも、長い間同じところに落ち続ければ、石に穴をあけることもできる。微力でも根気強く努力をし続ければ、いつかは大事業を成し遂げるというたとえ。
[←先頭へ]阿弥陀も銭で光る (あみだもぜにでひかる)
阿弥陀仏の御利益さえも、賽銭の多い少ないで決まる。金銭の威力は絶大で、全て世の中は金次第だというたとえ。
【類】
仏の光より金の光。地獄の沙汰も金次第。
網呑舟の魚を漏らす (あみどんしゅうのうおをもらす)
網の目が粗いため、船を飲み込むほどの大魚を逃してしまう。法律の網は大悪人を取り逃がすことがある。また、大悪人は法律の網になかなか掛からないというたとえ。
[←先頭へ]雨晴れて笠を忘る (あめはれてかさをわする)
雨が上がると、かぶっていた笠のありがたみを忘れる。苦しい境遇を脱すると、そのときに受けた人の恩をすぐに忘れてしまうたとえ。
[←先頭へ]雨降って地固まる (あめふってじかたまる)
雨が降った後は、ボコボコしていた地面が締まり固くなる。もめごとが起こったことによって、かえってそれがよい結果となり、物事がうまくいくことのたとえ。
[←先頭へ]飴をしゃぶらせる (あめをしゃぶらせる)
相手を喜ばせるためにうまいことを言ったり、勝負事でわざと負けたりすること。また、より大きな利益を狙って、相手に小さな利益を与えるたとえ。「飴をねぶらす」とも言う。
[←先頭へ]危うきこと累卵の如し (あやうきことるいらんのごとし)
高く積上げられた卵はいつ崩れてもおかしくないことから、非常に危険な状態のたとえ。「累卵の危うき」とも言う。「累卵」は卵を積み重ねること。
[←先頭へ]過ちを改めざるこれを過ちという (あやまちをあらためざるこれをあやまちという)
過失を犯すのは誰にでもあることでやむを得ないが、過失を犯したと気づきながら、なおも改めようとしないことこそ、真の過ちだということ。
【出】
論語
争い果てての乳切り木 (あらそいはててのちぎりぎ)
争いが終わった後、棒を持ち出しても役に立たない。チャンスを逃してしまっては何もならないということ。「乳切り木」は、地面から胸ぐらいの長さの棒。
[←先頭へ]蟻の思いも天に昇る (ありのおもいもてんにのぼる)
蟻のように小さく非力な者でも、一心不乱に願い懸命に努力すれば天の神の聞くところとなり、望みが達成されるということ。「蟻の思いも天に届く」とも言う。
[←先頭へ]蟻の這い出る隙もない (ありのはいでるすきもない)
蟻が這い出て逃れる隙間もない。警戒が厳重な様子を言う。
[←先頭へ]合わせ物は離れ物 (あわせものははなれもの)
別々のものを合わせて作り上げたものは、いずれ離れてしまう。夫婦はもともと他人だったのだから、別れても不思議はないということ。
[←先頭へ]慌てる乞食は貰いが少ない (あわてるこじきはもらいがすくない)
あちこち動き回る乞食は、うろつき過ぎてかえって貰いが少なくなる。欲張りすぎて慌てると、結局はろくなことにはならない。せっかちな人を戒める言葉。
[←先頭へ]合わぬ蓋あれば合う蓋あり (あわぬふたあればあうふたあり)
合う蓋と合わぬ蓋があるように、人間にも物にもふさわしい人、ふさわしい物があるということ。主に男女の間柄について使われる。
【類】
破鍋に綴蓋。
案ずるより生むが易い (あんずるよりうむがやすい)
出産前の心配は、取り越し苦労に終わる場合が多い。物事は事前にあれこれ心配するよりも、実際に行なってみると案外簡単だということ。
[←先頭へ]暗夜に灯火を失う (あんやにともしびをうしなう)
暗闇の中で明かりを失うように、頼りにしていた人や物を失って途方に暮れることを言う。
[←先頭へ]家貧しくして孝子顕る (いえまずしくしてこうしあらわる)
裕福な家庭では子供の親孝行は目につかないが、家が貧乏だと子供も家計のために働くようになり、自然に親孝行が知られるようになるということ。
[←先頭へ]家貧しくして良妻を思う (いえまずしくしてりょうさいをおもう)
家が貧しくなると、力を合わせてこの苦境を乗り越えてくれる良い妻が欲しいと思う。国や組織が乱れると、良き大臣や補佐役が必要になるというたとえ。
[←先頭へ]生き馬の目を抜く (いきうまのめをぬく)
生きている馬の目を抜き取ってしまうほど、抜け目なく他人を出し抜くこと。また、そういうことがあるから油断してはいけないというたとえ。
[←先頭へ]衣錦の栄 (いきんのえい)
錦を着る栄誉。立身出世して、故郷へ帰る名誉のこと。
【類】
故郷へ錦を飾る。
戦を見て矢を矧ぐ (いくさをみてやをはぐ)
戦争が始まるのを見て、慌てて矢を作る。事が起こってから慌てて準備をするたとえ。「敵を見て矢を矧ぐ」とも言う。「矧ぐ」は矢を作ること。
【類】
泥棒を見て縄を綯う。
韋弦の佩 (いげんのはい)
自分の欠点を克服するために努力するたとえ。「韋」はなめし皮。「弦」は弓の弦。
【故】
古代中国で、西門豹という男は、自分のせっかちな性質を緩やかにするためになめし皮を腰に帯び、董安于という男は、自分ののんびりとした性格を緊張させるためにぴんと張る弓の弦をいつも身につけていた。
石が流れて木の葉が沈む (いしがながれてこのはがしずむ)
沈むべきはずの石が流れ、浮いて流れるはずの木の葉が沈む。物事が道理に反して逆になっているたとえ。
[←先頭へ]石に漱ぎ流れに枕す (いしにくちすすぎながれにまくらす)
負け惜しみの強いことのたとえ。
【故】
晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」と言うところを言い間違えたのを人に指摘され、「石に漱ぎ」は石の粉で歯を磨くためで、「流れに枕す」は耳を洗うためだ、とこじつけた。「流石」という言葉も、うまく言い逃れをしたこの故事による。夏目漱石の筆名「漱石」も同じ。
石に立つ矢 (いしにたつや)
心を込めてやれば不可能なことはないというたとえ。
【故】
むかし中国で、虎と見間違えて射た矢が、石に深々と刺さった。
【類】
思う念力岩をも通す。
石に布団は着せられず (いしにふとんはきせられず)
親の墓石に布団を着せても、親孝行にはならない。親が死んでしまった後では、親孝行をしたくてもできないというたとえ。「石」は親の墓石の意。
【類】
樹静かならんと欲すれども風止まず。孝行のしたい時分に親はなし。
石の上にも三年 (いしのうえにもさんねん)
冷たい石でも三年も座り続ければ温まる。辛くても我慢し続ければやがて報われる。辛抱が大切だという戒めの言葉。
[←先頭へ]石橋を叩いて渡る (いしばしをたたいてわたる)
堅固な石橋でさえ、叩いて安全を確かめてから渡る。物事を慎重に行なうことのたとえ。
【類】
念には念を入れよ。浅い川も深く渡れ。
医者の不養生 (いしゃのふようじょう)
患者には養生を勧める医者自身は、案外不養生なものである。他人には立派なことを言いながら、本人は実行が伴わないということ。
【類】
紺屋の白袴。坊主の不信心
衣食足りて礼節を知る (いしょくたりてれいせつをしる)
生活が豊かになって、初めて人は礼儀や節度をわきまえるようになるということ。「衣食足りて栄辱を知る」とも言う。
[←先頭へ]いずれ菖蒲か杜若 (いずれあやめかかきつばた)
同じように美しく、優劣がつけがたいたとえ。「菖蒲」と「杜若」はいずれもアヤメ科で、花も似ており区別が難しい。
[←先頭へ]急がば回れ (いそがばまわれ)
急ぐときには危険でも近道を選びたくなるものだが、回り道でも安全な道を行く方が結局は早く目的地に着く。急ぐときほど、多少手間がかかっても、確実な方法をとった方が得策だという戒めの言葉。
[←先頭へ]磯際で船を破る (いそぎわでふねをやぶる)
せっかく磯の近くまで来たのに、船が難破してしまう。物事が完成する直前に失敗してしまうたとえ。「川口で船を破る」とも言う。「破る」は、「わる」とも読む。
【類】
九仞の功を一簣に虧く
磯の鮑の片思い (いそのあわびのかたおもい)
アワビは貝殻が片方にしかない片貝であることから、自分が真剣に思っているだけで、相手はなんとも思っていないたとえ。「鮑の片思い」とも言う。
[←先頭へ]痛くもない腹を探られる (いたくもないはらをさぐられる)
腹痛でもないのに、痛いのはここかあそこかと探られる。身に覚えがないことで疑いをかけられるたとえ。
[←先頭へ]痛し痒し (いたしかゆし)
掻けば痛いし、掻かねば痒いしの意。一方を立てれば他方に差し障りが生じる状態で、どうすればよいか迷うときに言う。
[←先頭へ]戴く物は夏も小袖 (いただくものはなつもこそで)
人から戴く物なら、役に立たない物でも何でも貰ってしまう。欲深いことのたとえ。「貰う物は夏も小袖」とも言う。「小袖」は冬に使う絹の綿入れのこと。
[←先頭へ]鼬の最後っ屁 (いたちのさいごっぺ)
イタチが追い詰められたときに放つ悪臭のこと。転じて、人が窮地に追い込まれたときに用いる非常手段のたとえ。
[←先頭へ]鼬の道切り (いたちのみちきり)
交際や音信が途絶えるたとえ。「鼬」が目の前を横切ると交わりが絶える、また、「鼬」は同じ道を二度と通らない、という俗信。単に「鼬の道」とも言う。
[←先頭へ]痛む上に塩を塗る (いたむうえにしおをぬる)
痛む傷の上に塩を塗ればさらに痛さが増すことから、悪いことの上にさらに不運が重なるたとえ。
【類】
泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目
一押し二金三男 (いちおしにかねさんおとこ)
女を口説くには、何よりも押しの強さが必要で、金があることや男っぷりがよいことは、二の次三の次であるということ。
[←先頭へ]一事が万事 (いちじがばんじ)
一つのことを見れば、他の全てのことが推察できるということ。一般に、良いことの例えに使うことは少ない。悪い一面を見て、全てのその調子だろうと思う場面で使うことが多い。
[←先頭へ]一日の長 (いちじつのちょう)
相手より一日だけ年長である。相手より、経験や力量が少しだけ優れているたとえ。
[←先頭へ]一樹の陰一河の流れも他生の縁 (いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)
見知らぬ者同士が一本の樹木の陰で休み、同じ川の水をともに飲むのも、みな前世からの因縁である。「他生の縁」は前世で結ばれた因縁の意。この世で起こる出来事は、全て前世からの因縁によるものだから、大切にしなければならないという仏教の教え。
[←先頭へ]一難去ってまた一難 (いちなんさってまたいちなん)
一度災難を切り抜けたと思っても、次々と困難や災難が襲ってくること。
【類】
虎口を逃れて竜穴に入る、前門の虎後門の狼
一に看病二に薬 (いちにかんびょうににくすり)
病気の治療には薬も大切だが、心のこもった看病が何よりも重要だということ。
[←先頭へ]一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり (いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
その日の計画は朝のうちに、その年の計画は元旦に立てよということ。計画はなるべく早めに立てた方がいいという戒め。「朝」は「あした」とも読む。
[←先頭へ]一姫二太郎 (いちひめにたろう)
子供を産む順序のことで、最初は女、次に男が望ましいという意味。女の子の方が育てやすいことからそう言われる。女の子が一人に男の子が二人という解釈は間違い。
[←先頭へ]一富士二鷹三茄子 (いちふじにたかさんなすび)
縁起のよい初夢の順番。「富士」は高く、「鷹」は掴み取る、「茄子」は成すの意味で、縁起がよいとされた。駿河の国の名産の順序だという説もある。
[←先頭へ]一目置く (いちもくおく)
自分より優れている者に敬意を表するたとえ。囲碁で、実力が下の者が先に石を盤上に置くことから出た言葉。
[←先頭へ]一文惜しみの百知らず (いちもんおしみのひゃくしらず)
僅かな金を惜しんだために、将来百倍の損を招くことに気づかない愚かさを言う。目先の損得だけを考えず、将来の利益を見据えた金遣いが必要との戒め。
[←先頭へ]一葉落ちて天下の秋を知る (いちようおちててんかのあきをしる)
アオギリは他の樹木に先駆けて落葉する。その一葉が落ちるのを見て、秋の気配を感知する。ほんの小さな前兆を見て、後に起こることを察知するたとえ。
[←先頭へ]一利を興すは一害を除くに若かず (いちりをおこすはいちがいをのぞくにしかず)
利益になることをやり始めることは、弊害を除去することには及ばない。新規に事を興すより、不要なものを減らすのが政治の大切な点だということ。
[←先頭へ]一を聞いて十を知る (いちをきいてじゅうをしる)
一つのことを聞いて十のことまで知るほどに、才知が極めて優れていること。僅かな示唆で、物事の全て、本質を理解することを言う。
【出】
論語
一を識りて二を知らず (いちをしりてにをしらず)
一つのことだけを知っていて、その他のことを知らない。知識や考え方が極めて狭いたとえ。
[←先頭へ]一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ (いっけんかげにほゆればひゃっけんこえにほゆ)
一匹の犬が物影におびえて吠えると、その吠え声に呼応して辺りにいる多くの犬が吠え出す。一人の人間が言ったいいかげんなことを、周りの人が事実として伝えてしまうたとえ。「一犬虚に吠ゆれば百犬実を伝う」とも言う。
[←先頭へ]一将功成りて万骨枯る (いっしょうこうなりてばんこつかる)
一人の将軍が功名を上げた陰には、屍を戦場にさらした万人の兵士がいる。平時でも、上に立つ者の華やかな功績の陰には、大勢の部下の犠牲があるということ。
[←先頭へ]一寸先は闇 (いっすんさきはやみ)
闇夜では一寸先ですら見えないように、将来のことは、何が起こるか全く予測がつかないということ。「一寸」は約3センチメートル。
[←先頭へ]一寸の虫にも五分の魂 (いっすんのむしにもごぶのたましい)
体長一寸ほどの小さな虫でも、半分ほどの魂を持っている。どんなに小さな弱者でもそれ相応の意地を持っているというたとえ。また、どんなに卑小に見える相手でも決して侮ってはいけないという戒め。
[←先頭へ]一敗地に塗みる (いっぱいちにまみる)
死体の内臓が踏みにじられ、泥まみれになるほど戦で完敗することから、再起不能になるほど徹底的に打ち負かされることを言う。
[←先頭へ]一飯の得も必ず償い睚眦の恨みも必ず向く報ゆ (いっぱんのとくもかならずつぐないがいさいのうらみもかならずむくゆ)
一度食事をご馳走になったほどの恩でも必ず返し、ちょっと睨まれたぐらいの恨みにも必ず仕返しをする。人から受けた恩と恨みは必ず返すということ。「睚眦」は、目を怒らせて睨む意。
【故】
中国の戦国時代、秦の宰相になった笵?がモットーとしていた。
一斑を見て全豹を卜す (いっぱんをみてぜんびょうをぼくす)
豹の毛皮のまだら模様一つを見て、豹全体の姿を推定する。物事のごく一部分から全体を推察するたとえ。「卜す」は、占って定めるの意。
[←先頭へ]いつまでもあると思うな親と金 (いつまでもあるとおもうなおやとかね)
親は子供より早く死に、金も使えばなくなるように、そばにあるものはいつかはなくなる。だから早く自立し、またしっかりと倹約する習慣を身につけなければならないという戒め。
[←先頭へ]いつも月夜に米の飯 (いつもつきよにこめのめし)
いつも月明かりで夜が明るく、毎日の米の飯が食べられれば申し分がないということ。また、実際はそうはいかないというたとえ。
[←先頭へ]田舎者の国自慢 (いなかもののくにじまん)
田舎者は、他国をあまり見たことがないので、自分の生まれた国(故郷)が最高だと自慢しがちだということ。
[←先頭へ]井に坐して天を見る (いにざしててんをみる)
井戸の中から上を見上げても、ごく僅かの範囲しか目に入らない。見識の狭いたとえ。
【類】
井の中の蛙大海を知らず
犬に論語 (いぬにろんご)
犬に論語を説いてみても何にもならない。何の効果もなく、役に立たないことのたとえ。
【類】
馬の耳に念仏。猫に小判。豚に真珠。
犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ (いぬはみっかかえばさんねんおんをわすれぬ)
犬は三日飼っただけでも、三年間その恩を忘れない。ましてや人間だったら、受けた恩は決して忘れてはならないという戒め。
[←先頭へ]犬も歩けば棒に当たる (いぬもあるけばぼうにあたる)
犬があちこちうろつき回っていると、人に棒で打たれるような目に遭ってしまう。本来は、「なまじでしゃばると思いがけない災難に遭う」という意味だったが、現代では、「積極的に行動することにより思いがけない幸運に出会う」という意味でも使われる。江戸いろはかるたの最初の句として有名。
[←先頭へ]命あっての物種 (いのちあってのものだね)
何事も命あってのことで、命が全ての根源となる。死んでしまっては何の意味もないから、生命に関わるような危険なことはするなという意味。
[←先頭へ]命長ければ恥じ多し (いのちながければはじおおし)
長生きをし過ぎると、その分恥をさらすことが多くなるということ。「寿なれば則ち辱しめ多し」との語句から。
【出】
荘子
井の中の蛙大海を知らず (いのなかのかわずたいかいをしらず)
狭い井戸の中に住んでいる蛙は、世の中に大きな海があることを知らない。見聞の狭いこと、世間知らずのたとえ。「大海知らぬ井の蛙」とも言う。
【類】
井に坐して天を見る。
衣鉢を伝う (いはつをつたう)
師匠が弟子に学問や技術を伝えること。「衣鉢を継ぐ」とも言う。「衣鉢」は僧侶の衣と食器を表し、「えはつ」とも読む。元来は、仏法の奥義を伝えるという意味だった。
[←先頭へ]移木の信 (いぼくのしん)
約束したことを実行すること。
【故】
中国の戦国時代、秦の商鞅が法律を改正したとき、大きな木を都の南門に立て「この木を北門に移した者には十金を与える」というお触れを出した。ところが、人民は疑って木を移す者は誰もいなかった。賞金を五十金に増やしたところ、一人の男が木を移したので、約束どおりの金を与えて、政府は約束を守るということを明らかにしてみせ、その後に政令を発した。
芋の煮えたも御存じない (いものにえたもごぞんじない)
芋が煮えたかどうかも区別できない。世間知らずでうかつな者をからかう言葉。江戸いろはかるたの一つ。
[←先頭へ]炒豆に花 (いりまめにはな)
炒った豆から芽が出て、やがて花が咲く。この世ではあり得ないことのたとえ。「炒豆に花が咲く」ともいう。
【類】
枯れ木に花が咲く。
色気より食い気 (いろけよりくいけ)
色欲より食欲の方が優先するということ。また、見栄えや外見よりも実利を重視すること。2つの意味で使い分けられている。
【類】
花より団子。
色の白いは七難隠す (いろのしろいはしちなんかくす)
女は色の白いのが一番で、他に難点があっても目につかないことを言う。
【類】
髪の長きは七難隠す。
色は思案の外 (いろはしあんのほか)
男女間の愛情は、理屈や常識では推し量れないということ。
[←先頭へ]鰯の頭も信心から (いわしのあたまもしんじんから)
信心すれば、鰯の頭のようなつまらないものでも、ありがたいものになるということ。京都いろはかるたの1つ。
【故】
節分の日、鰯の頭を柊の枝に刺して、門口に飾ると悪鬼を追い払うという風習から。
言わぬが花 (いわぬがはな)
何から何まで口に出して言ってしまうより、黙っている方が値打ちがあるということ。
【類】
言わぬは言うに優る。雄弁は銀、沈黙は金。
言わぬは言うに優る (いわぬはいうにまさる)
口に出さずに沈黙している方が、口で言うよりも、かえって深い意味を相手に伝えるということ。
【類】
言わぬが花。雄弁は銀、沈黙は金。
夷を以って夷を制す (いをもっていをせいす)
外国の勢力を利用して他の外国を抑え、自国の安泰を図ること。「夷」は外国の意。
【故】
他国同士を戦わせて自国の安泰を図るのは中国の伝統的な策であった。
陰徳あれば陽報あり (いんとくあればようほうあり)
人知れず善行を重ね、徳を積んでいれば、必ず明らかな良い報いを得られるということ。「陰徳」は陰で行なう徳行、「陽報」は表に現れる良い報い。
[←先頭へ]有為転変は世の習い (ういてんぺんはよのならい)
世の中のありさま、すべての事象は、激しく移り変わるものだということ。「有為」は仏教用語で、さまざまな因縁で生じる現象、存在の意味。
[←先頭へ]飢えては食を選ばず (うえてはしょくをえらばず)
極端に腹が減っているときは、どんな粗末な食べ物でもうまく、えり好みはしないものだということ。
【類】
すき腹にまずいものなし。
魚心あれば水心 (うおごころあればみずごころ)
魚に水を思う心があれば、水も魚を思う心になる。何事も相手の出方次第で、そちらが好意を示せばこちらも好意で応えようということ。また、こちらが好意を持てば相手も好意を持つものだというたとえ。本来は「魚、心あれば、水、心あり」だが、「魚心」「水心」と誤って読まれたもの。
[←先頭へ]鶯鳴かせたこともある (うぐいすなかせたこともある)
今はこんな年寄りになってしまったが、若いころはこれでも、梅にうぐいすが飛んできて鳴くように、若い男たちにもてたこともあった。梅を若く美しかった自分に、うぐいすを若い男にたとえて言った言葉。「梅干し婆はしなびておれど、鶯鳴かせたこともある」と続けても言う。
[←先頭へ]有卦に入る (うけにいる)
幸運な運勢に入ること。幸運に巡り合うこと。陰陽道では、幸運な年回りである「有卦」に入ると七年間それが続くとされている。反対の無卦は、有卦が終わった後の五年間の凶運期をいう。
[←先頭へ]雨後の筍 (うごのたけのこ)
時季になると、雨の後、筍があちこちに生えてくるように、物が次々と出てくることのたとえ。
[←先頭へ]牛に引かれて善光寺参り (うしにひかれてぜんこうじまいり)
人に連れられて後をついて行くこと。また、本心からでなく、他から誘われてたまたまよいことをすること。
【故】
昔、善光寺の近くに住んでいた強欲な老婆が、さらしておいた布を角に引っかけた牛を追って寺に入り、それが縁で信心深い人間になった。
牛の角を蜂が刺す (うしのつのをはちがさす)
牛の角を蜂が刺したとて、痛くも痒くもないことから、なんとも感じないことのたとえ。
[←先頭へ]氏より育ち (うじよりそだち)
人間形成にとって大切なのは、家柄や身分ではなく、環境や教育、本人の努力だということ。京都いろはかるたの一つ。
[←先頭へ]後ろ髪を引かれる (うしろがみをひかれる)
後ろから髪を引っ張られるように、物事が終わった後でも思いが断ち切れない。情にひかされて未練が残るたとえ。
[←先頭へ]後ろ指を指される (うしろゆびをさされる)
人に後ろから指を指されて避難される。陰で悪口を言われること。
[←先頭へ]牛を食らうの気 (うしをくらうのき)
虎や豹の子は、まだ毛の模様がはっきりしない幼獣のころから、牛を食おうとするほどの気概がある。幼いころから優れた気性を備えている者のたとえ。
[←先頭へ]嘘から出たまこと (うそからでたまこと)
はじめは嘘のつもりで言ったことが、偶然、事実となること。江戸いろはかるたの1つ。
【類】
瓢箪から駒が出る。
嘘つきは泥棒の始まり (うそつきはどろぼうのはじまり)
嘘をつき始めると、やがては盗みを働くようになる。道義心をいったん忘れると、悪事の道にどこまでも入り込んでいくから心せよという戒め。
[←先頭へ]嘘も方便 (うそもほうべん)
嘘も時と場合によっては、物事を円満に運ぶ有力な手段になるということ。「方便」は仏教用語で目的を遂げるために用いる手段のこと。
[←先頭へ]うだつが上がらぬ (うだつがあがらぬ)
差し掛けの物置同然のうだつが上がらぬ家に住んでいることから、いつも逆境にあって、なかなか成功、出世ができないこと。「うだつ」は、梁の上に立てて棟木を支える短い柱のこと。
[←先頭へ]独活の大木 (うどのたいぼく)
図体ばかり大きくて何の役にも立たない人、また、一見丈夫そうだが体の弱い人のたとえ。「独活」の茎は2メートルほどに伸びるが、弱くて役に立たない。
[←先頭へ]鵜の真似をする烏水に溺れる (うのまねをするからすみずにおぼれる)
鵜に姿や色が似ている烏が、鵜を真似て魚を捕ろうと水に潜り、溺れてしまう。自分の能力を考えずに、むやみに人の真似をすると失敗するというたとえ。単に「鵜の真似をする烏」とも言う。
[←先頭へ]鵜の目鷹の目 (うのめたかのめ)
鵜や鷹が獲物を狙うときのような鋭い目つきで、熱心に物を探している様子を言う。
[←先頭へ]馬には乗って見よ人には添うて見よ (うまにはのってみよひとにはそうてみよ)
馬は実際に乗ってみないと良い馬かどうか分からない。人には親しく付き合ってみないと、また、夫婦になってともに苦労をしてみないと、本当のところは分からないものだ。自分で試して経験することが大切だという教え。
[←先頭へ]馬の耳に念仏 (うまのみみにねんぶつ)
馬に念仏を聞かせても、少しもありがたがらないように、いくら意見や忠告をしても、全然ありがたがらないで聞き流すことを言う。
【類】
馬耳東風
生みの親より育ての親 (うみのおやよりそだてのおや)
自分を生んだだけで手放してしまった親よりも、養い育ててくれた親の方がありがたく、恩義や愛情を感じるということ。
[←先頭へ]海のことは漁師に問え (うみのことはりょうしにとえ)
物事は、その道の専門家に聞くのが一番の早道だということ。
【類】
餅は餅屋。
梅伐らぬ馬鹿桜伐る馬鹿 (うめきらぬばかさくらきるばか)
梅の花は新しい枝につき、桜は古い枝に花が咲くことから、樹木を剪定するとき、梅の木は切った方がよく、桜は切ってはいけないということ。
【類】
桜折る馬鹿柿折らぬ馬鹿。
梅に鶯 (うめにうぐいす)
取り合わせの良いもの。うまく調和しているもののこと。
【類】
松に鶴。竹に虎。紅葉に鹿。牡丹に唐獅子。波に千鳥。柳に燕。
埋もれ木に花が咲く (うもれぎにはながさく)
土の中で朽ちて埋もれていた木から、目が出てやがて花が咲く。世間から忘れられていた不遇の人に運が巡ってきて、再び世間で脚光を浴びることを言う。
[←先頭へ]烏有に帰す (うゆうにきす)
全く何もなくなること。特に、火事で丸焼けになること。「烏有」は漢文で、「烏ぞ有らんや」と読み下す。
【類】
灰燼に帰す。
恨み骨髄に入る (うらみこつずいにいる)
心の底から深く恨むこと。骨の髄にまで恨みの気持ちが染み込んだ状態を言う。「恨み骨髄に徹す」とも言う。
[←先頭へ]恨みに報ずるに徳を以ってす (うらみにほうずるにとくをもってす)
たとえ恨みを持っている相手であっても、報復するようなことはせず、広い心で恩恵を施せということ。
【出】
老子
売り言葉に買い言葉 (うりことばにかいことば)
喧嘩は売り買いするものだということから、相手が暴言を吐けば、こちらもそれに対抗して言い返すこと。
[←先頭へ]瓜の蔓に茄子はならぬ (うりのつるになすびはならぬ)
平凡な親からは非凡な子は生まれない。血筋は争えないということ。
【類】
蛙の子は蛙
【対】
鳶が鷹を生む
烏鷺を戦わす (うろをたたかわす)
囲碁を打つこと。「烏」は黒く、「鷺」は白い。それで黒石と白石で勝負を争う囲碁にたとえたもの。
[←先頭へ]噂をすれば影が差す (うわさをすればかげがさす)
人の噂をしているとき、その人がその場に現れる。略して「噂をすれば影」とも言う。
[←先頭へ]運は天にあり (うんはてんにあり)
人間の運は全て天命によるもので、いかにあがいてみても人力ではどうにもならないということ。また、やれるだけのことをやった後、結果は天命に任せることを言う。「運を天に任せる」とも言う。
【類】
命は天にあり
運用の妙は一心に存す (うんようのみょうはいっしんにそんす)
戦術や規則は、それを愚直に守っているだけでは実際の役に立たない。それを臨機応変に活用してこそ価値があり、活用できるかどうかは、それを用いる人の心1つにかかっているということ。
[←先頭へ]枝を伐って根を枯らす (えだをきってねをからす)
木を枯らすには、いきなり根に手を入れるのは難しいから、切りやすい枝を切ることから初めて、しだいに根を枯らしていくのがよい。物事を処理するには、まず手近なところから始めて順次根本的なところへ進むのがよいという例え。
[←先頭へ]得手に帆を上ぐ (えてにほをあぐ)
追い風を帆に受けて船を進める。自分の得意の分野で力を振るう絶好のチャンスが到来し、勇躍してことに臨むさま。「得手に帆を上げる」とも言う。
【類】
追風に帆を上げる
江戸っ子は宵越しの銭は使わぬ (えどっこはよいごしのぜにはつかわぬ)
気風のよさ、金離れのよさを粋だとして自慢した言葉。「江戸っ子は宵越しの金は持たぬ」とも言う。江戸っ子は、稼いだ金はその日に使い切り、翌日まで持ち越さない。
[←先頭へ]江戸の敵を長崎で討つ (えどのてきをながさきでうつ)
江戸で恨みを受けた相手を、遠く離れた長崎の地で討ち果たす。執念深くどこまでも付きまとうこと。また、意外な場所や筋違いなことで、以前受けた恨みを晴らすたとえ。
[←先頭へ]蝦で鯛を釣る (えびでたいをつる)
海老のような小さなもの、わずかな労力や元手で、鯛のように大きな利益を得るたとえ。略して「えびたい」をも言う。
[←先頭へ]選んでかすを掴む (えらんでかすをつかむ)
えり好みをしすぎて、かえって悪いもの、つまらないものを掴んでしまうたとえ。
【類】
選れば選り屑
煙霞のこ疾 (えんかのこしつ)
美しい風景を愛する心が極めて強いこと。転じて、病的なまで旅行好きなたとえ。「煙霞」はもやのかかった風景。「こ疾」はなかなか治らない病気。自然を愛することが、厄介な持病のようになっているということ。「煙霞の癖」とも言う。
[←先頭へ]燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや (えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
スケールの小さい人間には、大人物の考えは理解できないというたとえ。「鴻」は大きな鳥。「鵠」は白鳥。ツバメやスズメなどの小鳥には、大きな鳥や白鳥のような大きな鳥の心は分からない。
[←先頭へ]遠水近火を救わず (えんすいきんかをすくわず)
遠いところにいくら大量の水があっても、近くの火事を消すことはできない。遠くにあるものは、急場の役には立たないたとえ。
【類】
遠い親戚より近くの他人
縁と浮世は末を待て (えんとうきよはすえをまて)
良縁とチャンスは、時節が来るのを待つべきもので、自分から焦って求めてもうまくいかないということ。「縁と月日の末を待て」とも言う。
[←先頭へ]縁なき衆生は度し難し (えんなきしゅじょうはどしがたし)
広大無辺な仏の慈悲をもってしても、仏縁のないものは救いようがない。人の言うことを聞かない者は、救ってやりようがないということ。「縁」は仏の教えを聞く機会のこと。「度す」は、法を説いて悟りを開かせること。
[←先頭へ]縁の下の力持ち (えんのしたのちからもち)
人目につかない所で、他人のために努力したり苦労したりしていること。また、そういう人のたとえ。「縁の下の舞い」とも言う。
[←先頭へ]縁の目には霧が降る (えんのめにはきりがふる)
縁あって結ばれる者の目には、互いに霧がかかったように、相手の欠点が見えないばかりか、かえって美しく見えるということ。
[←先頭へ]縁は異なもの味なもの (えんはいなものあじなもの)
男女の巡り合い、結びつきは、予測できない不思議なもので、おもしろいものだということ。
[←先頭へ]遠慮ひだるし伊達寒し (えんりょひだるしだてさむし)
遠慮して食べないでいるとひもじいし、粋がって薄着をしていると寒い。見栄を張ったり、やせ我慢をしたりするのはほどほどにせよということ。「ひだるし」は、空腹であること。「伊達」は、粋な服装をすること。
[←先頭へ]老い木に花咲く (おいきにはなさく)
一度弱って衰えてしまったものが、再び力を取り戻すこと。
【類】
埋もれ木に花が咲く。
老い木は曲がらぬ (おいきはまがらぬ)
老木は柔軟性に乏しく、曲がりにくい。老人の頑固さのたとえ。年を取ってからは、考え方や性癖を改めようとしても無理だということ。
【類】
矯めるなら若木のうち。
老いたる馬は道を忘れず (おいたるうまはみちをわすれず)
年老いた馬は、長年通い慣れた道を忘れない。人生経験が豊かな人は、分別があるので物事の判断を間違わないということ。
【類】
亀の甲より年の功。
追風に帆を上げる (おいてにほをあげる)
順風に帆を上げれば、船はよく走る。よい条件に恵まれて物事が順調に進んだり、持てる力を存分に発揮したりするたとえ。
【類】
得手に帆を上ぐ。
老いてはますます壮んなるべし (おいてはますますさかんなるべし)
年を取ったからといって、気力を衰えさせてはならない。体力はともかく、意気だけは若者をしのぐ勢いを持てということ。
[←先頭へ]王侯相将寧んぞ種あらんや (おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)
帝王や諸侯、将軍や宰相になるのに、何で血筋や家柄など関係あろうか。必要なのは、その人の才能と努力だということ。「種」は家系、血統の意。
[←先頭へ]応接に暇あらず (おうせつにいとまあらず)
物事が次から次へと現れて、対応する暇がない。自然の景色が次から次へと開けて、ゆっくり鑑賞している暇がないこと。転じて、面接者が次々と現れて休む暇もないことを言う。
[←先頭へ]負うた子に教えられて浅瀬を渡る (おうたこにおしえられてあさせをわたる)
背中に負ぶった子に、浅いところ教えられながら川を渡る。人は時には年少の者から、ものを教えられることもあるというたとえ。
[←先頭へ]大男総身に知恵が回りかね (おおおとこそうみにちえがまわりかね)
体ばかり大きくて、万事にのろまな男をからかって言う言葉。
【類】
独活の大木。
大風が吹けば桶屋が喜ぶ (おおかぜがふけばおけやがよろこぶ)
物事が巡りめぐって予想できないところに影響を及ぼし、意外な結果をもたらすことを言う。
[←先頭へ]大きい薬缶は沸きが遅い (おおきいやかんはわきがおそい)
器の大きい人物は、普通の人より出来上がるのに時間が掛かるというたとえ。
[←先頭へ]陸に上がった河童 (おかにあがったかっぱ)
水中では自在に動ける河童も、陸に上がってはどうしようもない。得意技を封じられて、お手上げの状態のたとえ。
[←先頭へ]起きて半畳寝て一畳 (おきてはんじょうねていちじょう)
どんなところに住んでいても、1人の人間が占めるスペースは、起きている時は畳半分、横になっても畳1枚分に過ぎない。転じて、立派なお屋敷に住んでいる金持ちをうらやんで、あくせくしてもつまらないということ。
【類】
千畳敷に寝ても畳一枚。
沖な物あて (おきなものあて)
海の沖にいる獲物を当てにする。まだ手に入れていない物を当てにするたとえ。
【類】
穴の貉を値段する。捕らぬ狸の皮算用。
奥烏の愛 (おくうのあい)
カラスは不吉で嫌な鳥であるが、愛する人の家の屋根に止まっているのは、愛らしく感じられる。人を愛すると、その人に関係のあるもの全てに愛が及ぶたとえ。
【類】
惚れた欲目。
屋上屋を架す (おくじょうおくをかす)
屋根の上にさらに屋根を架ける。無駄なこと、余計なことをするたとえ。「屋下に屋を架す」とも言う。
【類】
川に水を運ぶ。
奥歯に衣を着せる (おくばにきぬをきせる)
事実をはっきり言わずに、思わせ振りな言い方をすること。皮肉な物言いをするたとえ。
【対】
歯に衣を着せず。
おごる平家は久しからず (おごるへいけはひさしからず)
栄耀栄華を極めた者は、長く栄え続けることはないというたとえ。
[←先頭へ]教うるは学ぶの半ば (おしうるはまなぶのなかば)
人に教える立場になると、自分の知識不足やあいまいな点が明らかになるから、半分は自分の勉強になるということ。
[←先頭へ]遅牛も淀早牛も淀 (おそうしもよどはやうしもよど)
足の遅い牛も早い牛も、行き着く場所は淀である。遅い早いの違いは多少あっても、結果は同じようなものだから、慌てても仕方がないということ。「淀」は京都市の地名で、集荷場として栄えた場所。
【類】
牛も千里馬も千里。
落ち武者は薄の穂にも怖ず (おちむしゃはすすきのほにもおず)
戦に負けて落ち延びる武士は、ススキの穂の揺れも敵に見える。怖い怖いと思っていると、何でもないものも恐ろしくなるたとえ。
【類】
疑心暗鬼を生ず。
落つれば同じ谷川の水 (おつればおなじたにがわのみず)
雨や霰、雪、氷と形はさまざまだが、山に落ちれば同じ谷川の水になって流れる。出発点は違っていても、行き着く先はみな同じだということ。また、人間も生まれや生き方はさまざまだが、死ねば灰になり結局は同じだというたとえ。「落ちれば同じ谷川の水」とも言う。
[←先頭へ]男心と秋の空 (おとこごころとあきのそら)
秋の天候が変わりやすいように、男心も移り気で、女への情が変わりやすいことを言う。「女心と秋の空」という言葉もある。
[←先頭へ]男の目には糸を張れ女の目には鈴を張れ (おとこのめにはいとをはれおんなのめにはすずをはれ)
男の目は、糸を引いたように細くまっすぐなのが良く、女の目は、鈴を張ったようにつぶらなのが良いということ。
[←先頭へ]男は敷居を跨げば七人の敵あり (おとこはしきいをまたげはしちにんのてきあり)
男がいったん外に出れば、七人の敵が待ち構えている。男が世の中で活動するには、多くの競争相手や敵と競い合わなければならないということ。「家を出れば七人の敵」とも言う。
[←先頭へ]男は度胸女は愛嬌 (おとこはどきょうおんなはあいきょう)
男には度胸、女には愛嬌が第一で、何よりも大切だということ。「きょう」の語呂合わせで、続けて「坊主はお経」と言うこともある。
[←先頭へ]男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く (おとこやもめにうじがわきおんなやもめにはながさく)
妻をなくした男は、世話をしてくれる人がいないので、家の中が汚く不潔になる。一方、夫をなくした妻は、世話をする人がいなくなったため、自分を身奇麗に飾るので男たちにもてはやされ、やがて花が咲いたように華やかになるということ。
[←先頭へ]鬼に金棒 (おににかなぼう)
強く怖い鬼に金棒という武器を持たせることから、ただでさえ強い者に、さらに強力なものが加わるたとえ。
[←先頭へ]鬼のいぬ間に洗濯 (おにのいぬまにせんたく)
怖い人や気詰まりな人がいない間に、羽を伸ばして存分にくつろぐこと。「洗濯」は、この場合気晴らしの意。
[←先頭へ]鬼の霍乱 (おにのかくらん)
頑丈な鬼が霍乱を患うの意から、普段は丈夫で病気に縁がない人が、思いがけなく風邪を引いたり、病に伏せったりすることを言う。「霍乱」は、暑気あたりや日射病。
[←先頭へ]鬼の念仏 (おにのねんぶつ)
恐ろしい鬼が念仏を唱えてみせる。残忍冷酷な人間が、表面だけいかにも慈悲深そうな態度を見せたり、優しい言葉をかけたりすること。「鬼の空(そら)念仏」とも言う。
【類】
鬼の空涙。
鬼の目にも涙 (おにのめにもなみだ)
普段は鬼のように冷酷無慈悲で厳しく見える人でも、時には同情や哀れみから、目に涙を浮かべることもあるということ。
[←先頭へ]己の頭の蝿を追え (おのれのあたまのはえをおえ)
人の世話など焼いていないで、自分のことをしっかりやれということ。「人の蝿を追うより己の蝿を追え」とも言う。
[←先頭へ]尾羽打ち枯らす (おはうちからす)
威厳のあった鷹の羽根が痛んで、みすぼらしくなる。落ちぶれてみすぼらしい姿になるたとえ。零落すること。
[←先頭へ]帯に短し襷に長し (おびにみじかしたすきにながし)
帯には短くて使えず、襷には長すぎて邪魔になることから、中途半端で使いものにならないことのたとえ。
[←先頭へ]溺れる者は藁をも掴む (おぼれるものはわらをもつかむ)
水に溺れている者は、藁のように頼りない物でも、浮いていればそれに掴まって助かろうとする。危急の際には、どんなものにでも助けを求めるようになるということ。
[←先頭へ]お前百までわしゃ九十九まで (おまえひゃくまでわしゃくじゅうくまで)
夫婦が仲睦まじく、共に長生きして暮らそうということ。「お前」は夫、「わしゃ」は妻のこと。この後に「共に白髪の生えるまで」と続く。
[←先頭へ]御神酒上がらぬ神はない (おみきあがらぬかみはない)
酒飲みの自己弁護の言葉。どんな神様だってお神酒は供えられている。神様はみな酒をお飲みになるのだから、自分も飲んでもいいのではないかというわけ。
[←先頭へ]思い立ったが吉日 (おもいたったがきちじつ)
何かしようと思い立ったら、思い立ったその日が吉日で、暦の吉日を調べて占ってみたりする必要はない。思い立ったら、すぐ取り掛かった方がいいということ。
[←先頭へ]思い半ばに過ぐ (おもいなかばにすぐ)
一督しただけで、意味の半分以上を理解できる。十分に全体を推察できることを言う。転じて、事実は想像以上であると言う意味でも用いる。
【出】
易経
思う事一つ叶えばまた一つ (おもうことひとつかなえばまたひとつ)
望みが一つ達成されると、すぐもう一つ欲しくなる。人間の欲望は際限がないということ。
【類】
隴を得て蜀を望む。
思うに別れて思わぬに添う (おもうにわかれておもわぬにそう)
思う人とは夫婦になれず、思ってもいなかった相手と結婚する。男女の仲は思いどおりにならぬもの、縁とは不思議なものだということ。「思うに添わで思わぬに添う」ともいう。
[←先頭へ]思う念力岩をも通す (おもうねんりきいわをもとおす)
心を込めて行えば、どんなことでも成し遂げられることをいう。
【類】
精神一到何事か成らざらん
親が親なら子も子 (おやがおやならこもこ)
親がよくないと、その子供も同じようによくないということ。親子は争えないもので、よく似ることを言うが、多く、両方とも駄目だという意で用いる。
[←先頭へ]親子は一世、夫婦は二世 (おやこはいっせ、ふうふはにせ)
親子の関係は現世だけのものだが、夫婦の関係は前世と現世、あるいは現世と来世の二世に渡る深い関係だということ。続けて「主従は三世」とも言う。
[←先頭へ]親擦れより友擦れ (おやすれよりともすれ)
子供は、親の影響よりも友達の影響を多く受けて、世間を知るということ。
【類】
善悪は友による
親の因果が子に報う (おやのいんががこにむくう)
親が昔行った悪行が原因で、何の罪もない子供に報いが来ること。だから悪事をしてはいけないという戒め。
[←先頭へ]親の恩は子を持って知る (おやのおんはこをもってしる)
自分が子供を持ってはじめて、親がどれほど苦労して自分を育ててくれたかが分かるということ。
[←先頭へ]親の心子知らず (おやのこころこしらず)
子供というのは、子を思う親の深い気持ちも分からず、浅はかで勝手気ままな振舞をするということ。
【対】
子の心親知らず
親の十七子は知らぬ (おやのじゅうしちこはしらぬ)
偉そうに説教を垂れている親が、十七歳の若い時分どんなだったか、子供は知る由もない。親を皮肉って言う言葉。
【類】
姑の十七見た者がない
親の光は七光り (おやのひかりはななひかり)
本人にはそれほどの才能や実力もないのに、親の社会的地位や余徳のお陰で、いろいろな恩恵を受けること。「親の七光り」「男の光は七光り」とも言う。
[←先頭へ]親馬鹿子馬鹿 (おやばかこばか)
親は子を溺愛して子供が馬鹿なのを知らず、子は親の愛に慣れて馬鹿なことをしでかす。傍から見れば、親も馬鹿なら子も馬鹿だということ。
[←先頭へ]親はなくとも子は育つ (おやはなくともこはそだつ)
親が死んでも、残った子供は自分の力や周りの善意などで、何とか成長していくことを言う。
[←先頭へ]お山の大将俺一人 (おやまのたいしょうおれひとり)
小さな世界や集団の中で、自分が一番偉いんだと、得意がって威張っていること。子供の陣地取り遊びからきた言葉。料簡の狭い者を軽蔑したり、からかうときに使う。
[←先頭へ]泳ぎ上手は川で死ぬ (およぎじょうずはかわでしぬ)
泳ぎのうまい者は自信過剰になって、川で溺れ死ぬことがある。自分の得意とすることで失敗するたとえ。
【類】
川立ちは川で果てる
終わり良ければすべて良し (おわりよければすべてよし)
途中でどんなハプニングがあっても、物事は終わりがきちんとしていればそれでいい。結果がすべてだということ。
[←先頭へ]尾を振る犬は叩かれず (おをふるいぬはたたかれず)
尻尾を振って近寄ってくる犬は叩かれない。従順な者には、誰もひどいことはしないということ。「尾を振る犬は打たれず」とも言う。
【類】
杖の下に回る犬は打たれぬ。
女心と秋の空 (おんなごころとあきのそら)
秋の空模様が変わりやすいように、女の心が移ろいやすいということ。「男心と秋の空」という言葉もある。
【類】
女の心は猫の目。
女三人あれば身代が潰れる (おんなさんにんあればしんだいがつぶれる)
娘が三人もいれば、嫁入り支度のため財産がなくなってしまうということ。
【類】
女の子が三人あれば囲炉裏の灰もなくなる。
恩を仇で返す (おんをあだでかえす)
恩を受けたら感謝するのが人の道なのに、反対に恩人を傷つけるような仕打ちをすること。略して「恩を仇」とも言う。
【対】
仇を恩で報ずる。
か |
飼い犬に手を噛まれる (かいいぬにてをかまれる)
飼っている犬に、あろうことか手を噛まれる。普段面倒を見てやっている者から、裏切り的行為を受けること。
【類】
恩を仇で報じる。
貝殻で海を量る (かいがらでうみをはかる)
貝殻で海の水を汲んで、海水の量を量る。狭い料簡や浅薄な知識で、大きな問題を論じるたとえ。
【類】
管を以って天を窺う。
会稽の恥 (かいけいのはじ)
敗戦の恥。また、人から受けた強烈な恥を言う。
【故】
中国の春秋時代、越王勾践が呉王夫差と戦って破れ、会稽山で屈辱的な講和を結んだ。
骸骨を乞う (がいこつをこう)
高官が辞職を願い出ること。
【故】
昔、中国では、臣下が君主に仕えるのは、自分の未をささげるということだった。だから、老臣が辞職を願い出るときには、せめて不要になった骸骨同然の体をお返しいただきたいと言った。
解語の花 (かいごのはな)
言葉を理解する花。つまり美人のこと。
【故】
昔、唐の玄宗皇帝が楊貴妃をこう称した。
【類】
物言う花
蓋世の気 (がいせいのき)
世を覆い尽くし、圧倒するほどの盛んな意気。雄大な気性や才能をいう。
【故】
中国、秦の時代の末期、楚王項羽が作った詩の一句。「力抜山兮気蓋世」(力は山を抜き、気は世を覆う)による。
咳唾珠をなす (がいだたまをなす)
咳や唾までが珠玉のようだ。口から出る言葉が非常に美しいということ。詩文の才が豊かで優れているたとえ。
[←先頭へ]快刀乱麻を断つ (かいとうらんまをたつ)
鋭利な刀で、乱れた麻を断ち切る。紛糾した物事を鮮やかに解決することを言う。
[←先頭へ]櫂は三年艪は三月 (かいはさんねんろはみつき)
舟を自在に操るには、櫂の使い方をマスターするのに三年、艪に三月かかるということ。「棹は三年艪は三月」ともいう。
[←先頭へ]隗より始めよ (かいよりはじめよ)
大きな事業を始めるときには身近なところから着手するのが良い。また、事を始める際には言い出した人から始めよというたとえ。
【故】
中国の戦国時代、燕の昭王に賢者を招く方法を聞かれた郭隗が、「まずこの隗(自分)を優遇しなさい。そうすれば自分以上の者が続々と参集するでしょう」と答えた。
替え着なしの晴れ着なし (かえぎなしのはれぎなし)
いつもいい服を着ているが、それ1枚だけで着替えをもっていないこと。
【類】
着たきり雀
蛙の子は蛙 (かえるのこはかえる)
蛙の子はオタマジャクシの時代もあるが、結局は蛙以外のものにはならない。凡人の子はやはり凡人だということ。また、子は親に似るというたとえ。
【類】
瓜の蔓に茄子はならぬ
蛙の面に水 (かえるのつらにみず)
蛙は顔に水をかけられても平気なように、どんなことをされても、どんなことを言われても平気でいること。「蛙の面に小便」とも言う。
【類】
馬の耳に念仏
河海は細流を択ばず (かかいはさいりゅうをえらばず)
黄河や海はどんな細い流れでも受け入れるように、度量が広い人間は、どんな人物でも受け入れるということ。また、大人物になるにはそうしなければいけないことを言う。
[←先頭へ]柿の皮は乞食に剥かせ瓜の皮は大名に剥かせよ (かきのかわはこじきにむかせうりのかわはだいみょうにむかせよ)
柿の皮は薄く剥いた方がいいから卑しい乞食に剥かせ、瓜の皮は厚く剥いた方がいいから鷹楊な大名に剥かせるのがよい。果実の皮の剥き方の適否について言ったもの。「瓜の皮は大名に剥かせよ、柿の皮は乞食に剥かせよ」とも言う。
【類】
魚は大名に焼かせよ餅は乞食に焼かせよ
蝸牛角上の争い (かぎゅうかくじょうのあらそい)
つまらない争い、狭い世界でのこせこせした争いのたとえ。「蝸牛の争い」とも言う。「蝸牛」は、かたつむりのこと、蝸牛の左の角に国を持つ触氏と右の角に国を持つ蛮氏が、あるとき領土を争い、数万の死者を出したという古代中国の寓話から。
【出】
荘子
火牛の計 (かぎゅうのけい)
牛の角に刃物を結び付け、尻尾に油を注いだ葦の束を結び、火をつけて敵陣に放つ戦術。
【故】
戦国時代に斉の田単が燕軍にこれを用いて大勝した。日本でも、木曽義仲がこの戦術で平家の大群を破った。
隠すより現る (かくすよりあらわる)
物事は隠そうとすればするほど、様子が不自然になったりして、表に現れるということ。
【類】
思い内にあれば色外に現る
学問に王道なし (がくもんにおうどうなし)
学問には、手軽に身につける近道はない。地道に努力を積み重ねるしかないというたとえ。「王道」は王様のための特別の近道のこと。
[←先頭へ]隠れたるより見るるはなし (かくれたるよりあらわるるはなし)
秘密にしていることの方が、かえって世間に知れやすいということ。また、心の中で思っていることは、どんなに隠しても顔色に現れることを言う。
【出】
中庸
学を好むは知に近し (がくをこのむはちにちかし)
学問を好む人は、知識を蓄積してやがては真の知者に近づくことができるということ。
[←先頭へ]駆け馬に鞭 (かけうまにむち)
疾駆している馬にさらに鞭を加える。勢いのついているものにさらに力を加えて、一層勢いづけるたとえ。
【類】
火に油を注ぐ
影の形に随うが如し (かげのかたちにしたがうがごとし)
影が実体について離れないように、いつもそばに付き添っている様子。「影の形に添う如し」とも言う。
【類】
形影相伴う
影を畏れ迹を悪む (かげをおそれあとをにくむ)
足跡や影が自分の後を追ってくるのを嫌う。心静かに反省し、修養することを知らず、いたずらに外物にとらわれて苦しむたとえ。
【故】
自分の影と足跡におびえて逃げ走っていた者が、日陰にいれば影は消え、動かなければ足跡はつかないということに気づかなかったという話から。
【出】
荘子
駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人 (かごにのるひとかつぐひとそのまたわらじをつくるひと)
世間には駕籠に乗る身分の人、その駕籠を担ぐ仕事の人、さらにその人の草鞋を作る人もいる。さまざまな人が互いに助け合って、世の中が成り立っていることのたとえ。
[←先頭へ]傘と提灯は戻らぬつもりで貸せ (かさとちょうちんはもどらぬつもりでかせ)
傘も提灯も共に必要な物だが、一時だけのもの。借りてもつい忘れがちなので、戻って来ないことが多いからそのつもりでいろということ。「傘と提灯は早く返せ」という言葉もある。
[←先頭へ]火事あとの釘拾い (かじあとのくぎひろい)
大事な家を火事で焼いた後で、釘を拾って歩いてもどうにもならない。大損した後でちまちまと倹約しても、何の足しにもならないたとえ。
[←先頭へ]和氏の璧 (かしのたま)
すばらしい宝玉。「璧」は平たくて中に穴の空いているドーナツ型の玉。
【故】
中国の春秋時代、楚の国の卞和という者が荊山の山中で得たという宝玉のこと。卞和は荊山で見つけた玉の原石を王に献上したが、玉ではないとして左足を断たれた。武王のときまたこれを献じ、今度は右足を断たれた。次の文王のとき、これを磨かせたら果たして玉であったので、これを名付けて和氏の璧と言った。
華胥の国に遊ぶ (かしょのくににあそぶ)
いい気持ちで昼寝をすること。
【故】
古代中国の天子黄帝が、昼寝の夢の中で、理想の国とされていた華胥の国に遊んだ。
歌人は居ながらにして名所を知る (かじんはいながらにしてめいしょをしる)
歌詠みは、名所を讃えた古い歌を知っているので、自分では訪れたこともない名所のことをよく知っているということ。
[←先頭へ]稼ぐに追い付く貧乏なし (かせぐにおいつくびんぼうなし)
毎日稼いでいれば、貧乏は追いついてこない。懸命に働いていれば、貧乏はしないということ。
[←先頭へ]堅い木は折れる (かたいきはおれる)
柔軟性に欠ける堅い木は、大風や大雪のとき折れやすい。日ごろ丈夫な人が大病を患って倒れること。また、強気一辺倒で仕事をしていた人が意外にくじけやすいことのたとえ。
【対】
柳に雪折れなし。柔よく剛を制す。
難きを先にし獲るを後にす (かたきをさきにしうるをのちにす)
骨の折れる難しいことや人の嫌がることを進んで引き受け、得になることや利益につながることを後回しにするということ。
【出】
論語
片口聞いて公事を分くるな (かたくちきいてくじをわくるな)
一方だけの言い訳を聞いて判定を下すな。訴訟の裁定は公平でなければならない。必ず両方の言い分を聞いて判定を下せという教え。「片口」は片方の言い分。「公事」は訴訟のこと。
【類】
一方聞いて下知をすな。両方聞いて下知をなせ。
火中の栗を拾う (かちゅうのくりをひろう)
他人のためにあえて、あるいはおだてられて危険なことをすること。
【出】
イソップ物語
渇しても盗泉の水を飲まず (かっしてもとうせんのみずをのまず)
どんなに困窮しても、断じて不正を行なわないたとえ。
【故】
旅の途中、孔子は喉が渇いていたが、泉の名が「盗泉」であることを知って水を飲まなかった。
勝って兜の緒を締めよ (かってかぶとのおをしめよ)
戦に勝っても油断するなという戒め。転じて、事が順調に運んで成功しても、気を許さず用心深くあれということ。
[←先頭へ]河童の川流れ (かっぱのかわながれ)
泳ぎのうまい河童でも、ときには水の勢いに流されてしまうことがある。名人達人と呼ばれる人でも失敗することのたとえ。
【類】
弘法も筆の誤り。猿も木から落ちる。
渇に臨みて井を穿つ (かつにのぞみていをうがつ)
喉が渇いてから井戸を掘り始める。必要になって慌てて準備しても、手遅れで間に合わないたとえ。
【類】
泥棒を見て縄を綯う。
刮目して見る (かつもくしてみる)
目を刮ってよく注意してみること。生まれ変わったように進歩、変化した相手を見直すことを言う。
[←先頭へ]褐を被て玉を懐く (かつをきてたまをいだく)
外見は飾らないが、内に美しい心を持っていることのたとえ。また、人目にはつかないが、優れた知識や才能を備えていること。「褐」は粗い布で織った粗末な衣服。「玉」は立派な才能のたとえ。
【出】
老子
勝てば官軍 (かてばかんぐん)
戦いに勝った方が理屈抜きに正しく、負けた方が悪いということ。明治維新のときに言われた言葉。「勝てば官軍負ければ賊軍」とも言う。
【類】
力は正義なり。無理が通れば道理が引っ込む。
瓜田に履を納れず李下に冠を正さず (かでんにくつをいれずりかにかんむりをたたさず)
ウリ泥棒やスモモ盗人と間違えられるといけないので、瓜畑の中では履物を履き直さず、李の木の下では冠をかぶり直さない。人から疑われるような、紛らわしい行ないは避けよということ。「瓜田李下」「李下の冠瓜田の履」とも言う。
[←先頭へ]門松は冥土の旅の一里塚 (かどまつはめいどのたびのいちりづか)
門松は正月を祝うめでたい印ではあるが、正月が来る度に歳をとるので、死への旅の道標のようなものだの意。後に「めでたくもありめでたくもなし」と続けることもある。
[←先頭へ]鼎の慶弔を問う (かなえのけいちょうをとう)
権威や権力のある者の実力を疑うたとえ。「鼎」は、古代中国で食物を煮るために使われた3本足の青銅製の器。祭器として用いられ、権威の象徴とされていた。
【故】
春秋時代、楚の荘王が周の定王を侮って、周王室の九鼎の大小軽重を聞いた。
蟹は甲羅に似せて穴を掘る (かにはこうらににせてあなをほる)
蟹が自分の甲羅の大きさに合った穴を掘るのと同じく、人はそれぞれの立場や力量に応じて言動をとるたとえ。
[←先頭へ]金請けするとも人請けするな (かねうけするともひとうけするな)
借金の保証人にはなっても、人の身元保証人にはなるな。人の保証をすると、面倒なことが際限なく起こる恐れがあるということ。
[←先頭へ]金が敵 (かねがかたき)
敵に巡り合うのが難しいように、金はなかなか手に入りにくい。また、金は持ったら持ったで災いの元となるということ。「金が敵の世の中」とも言う。
[←先頭へ]金が物を言う (かねがものをいう)
金さえあれば、世の中のことはたいてい解決できるというたとえ。金銭が大きな威力を発揮するということ。
【類】
地獄の沙汰も金次第。金の光は七光。
金の切れ目が縁の切れ目 (かねのきれめがえんのきれめ)
金がなくなるときが、人との縁も切れるときである。金があるうちは親しくしていても、金がなくなると、冷淡になって去って行くのが人の世の常であるということ。
【類】
愛想づかしも金から起きる。
鉄の草鞋で尋ねる (かねのわらじでたずねる)
擦り減らない鉄製の草鞋を履いて訪ねる。根気よく目当てのものを訪ね回るたとえ。「金の草鞋で捜す」とも言う。
[←先頭へ]金は天下の回り物 (かねはてんかのまわりもの)
金は世間をぐるぐる回っているもので、いつかは自分のところにも回ってくる。今貧しいからといってくよくよするなということ。「金は天下の回り持ち」とも言う。
[←先頭へ]金持ち喧嘩せず (かねもちけんかせず)
人と争えば、損をすることはあっても得することはないから、金持ちは喧嘩をしないということ。
[←先頭へ]禍福は糾える縄の如し (かふくはあざなえるなわのごとし)
幸・不幸は、より合せた縄のように巡り巡ってやってくる。不幸を嘆いているとそれがいつの間にか福に変わり、幸せを喜んでいると、それが次は災いに変わるということ。
【出】
史記
【類】
塞翁が馬。沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり。
株を守りて兎を待つ (かぶをまもりてうさぎをまつ)
古い習慣にとらわれて進歩がないこと。また、一度味をしめたことを再度望む甘い考えのたとえ。「守株」ともいい、「株を守る」とも言う。
【故】
ウサギが木の切り株にぶつかって死んだのを見た農夫が、以後働かずにその株を見張って、またウサギを得ようとした。
【類】
いつも柳の下にドジョウは居らぬ。
壁に耳あり障子に目あり (かべにみみありしょうじにめあり)
どこで誰が聞いているか、誰が見ているか分からない。秘密事はとかく漏れやすいたとえ。また、だから注意せよという戒め。「壁に耳障子に目」、また単に「壁に耳」、「障子に目」とも言う。
[←先頭へ]果報は寝て待て (かほうはねてまて)
幸運は焦って求めず、じっと気長に待っている方がいいということ。「果報」はもともと仏教用語で、前世で行なった行為の結果、現世で受ける報いのことだが、転じて幸運の意となった。
【類】
待てば海路の日和あり。
神は正直の頭に宿る (かみはしょうじきのこうべにやどる)
正直な人には、神様の加護があるたとえ。「正直の頭に神宿る」とも言う。
[←先頭へ]噛む馬はしまいまで噛む (かむうまはしまいまでかむ)
人や柵に噛みつく癖のある馬は、死ぬまで直らない。悪い性質や癖は容易に矯正できないことのたとえ。
【類】
雀百まで踊り忘れず。三つ子の魂百まで。
亀の甲より年の劫 (かめのこうよりとしのこう)
豊富な経験を積んだ年長者の意見は、尊重するべきだという教え。「亀の甲」を「烏賊の甲」「蟹の甲」と言うこともある。「亀のこう」「年のこう」と語呂合わせでおもしろく言った言葉。「劫」は仏教用語で、非常に長い年月のこと。「年の劫」は「年の功」とも書く。
[←先頭へ]鴨が葱を背負って来る (かもがねぎをしょってくる)
都合のよいことが重なって、ますます好都合になるたとえ。多く、お人好しが他人に利益を与える材料をそろえてもって来る場合に使われる言葉。略して「鴨葱」とも言う。「鴨」と「葱」がそろえば鴨鍋にできることから、おあつらえ向きだということ。
[←先頭へ]烏を鷺 (からすをさぎ)
黒いカラスを白いサギだと強弁することから、間違っていることを強引に正当化することのたとえ。「鷺を烏」とも言う。
【略】
鹿を指して馬となす。
画竜点睛を欠く (がりょうてんせいをかく)
肝心の最後の仕上げが不十分で、全体が不完全、または引き立たないたとえ。「画竜点睛」は最後の仕上げを言う。その仕上げを欠いてしまうこと。
【故】
絵の名人が竜の画を描き、最後に睛(ひとみ)を入れたら竜が飛び去ったという。
借りる時の地蔵顔返す時の閻魔顔 (かりるときのじぞうがおかえすときのえんまがお)
借金するときにはお地蔵様のようなニコニコ顔をしているが、いざ返す段になると閻魔様のように渋い不機嫌な顔をすること。人間は自分勝手なものだというたとえ。「借りる時の地蔵顔済す時の閻魔顔」とも言う。
[←先頭へ]枯れ木も山の賑わい (かれきもやまのにぎわい)
枯れ木でも、山にいくらかの趣を添えることができる。たいして役に立たない者でも、いないよりはいた方がましだということ。自分をへりくだって言う言葉。
[←先頭へ]彼を知り己を知れば百戦殆うからず (かれをしりおのれをしればひゃくせんあやうからず)
敵と味方の実力を十分に知った上で戦えば、百戦百勝。何度戦っても負けることはない。「殆うからず」は、危なくないの意味。相手と自分の長所、短所をわきまえておけば、決して失敗しないということ。
【出】
孫子
可愛い子には旅をさせよ (かわいいこにはたびをさせよ)
昔の旅は、今と違って苦難の連続だったことから、子どもの将来を思うなら、世間に出してつらさや苦しみを経験させた方が良いということ。
【類】
獅子の子落とし。
可愛さ余って憎さが百倍 (かわいさあまってにくさがひゃくばい)
かわいいと思っていた人間が、いったん憎いとなると、その憎しみは百倍ほどにも激しくなるということ。
[←先頭へ]川立ちは川で果てる (かわだちはかわではてる)
川のそばで生まれ育った泳ぎ上手は、川で命を落とす。人は得意なこととなると油断をするから、そのために致命的な失敗をすることがあるたとえ。
【類】
泳ぎ上手は川で死ぬ。木登り上手は木で果てる。
川に水を運ぶ (かわにみずをはこぶ)
水があり余っている川に水を運んでも、何の意味もない。無駄な骨折りのたとえ。
【類】
屋上屋を架す。
冠蓋相望む (かんがいあいのぞむ)
使者のかぶる冠を車の上の大きな蓋が、前後互いに見渡せる。車が次から次へ続いて絶え間がない様子を言う。
[←先頭へ]勘学院の雀は蒙求を囀る (かんがくいんのすずめはもうきゅうをさえずる)
ふだん目や耳にしていることは、習わなくても自然に覚えてしまうたとえ。「勧学院」は、平安時代に藤原一族の子弟を教育した学校。「蒙求」は、教訓的な逸話などを集めた中国唐代の書。
【故】
勧学院に巣を構えているスズメは、学生たちが朗読する「蒙求」を聞き覚えて、その文句を囀るようになった。
【類】
門前の小僧習わぬ経を読む。
雁が飛べば石亀も地団駄 (がんがとべばいしがめもじだんだ)
雁が飛び立つのを見ていた石亀が、自分も飛ぼうと足をばたつかせる。自分の分際を忘れて、むやみに人まねをすることへの戒め。
[←先頭へ]閑古鳥が鳴く (かんこどりがなく)
人影がなくて寂しい様子。「閑古鳥」は、かっこうのこと。かっこうの鳴き声が寂しげに聞こえることから、商売がはやらなくて客が入っていないたとえ。
[←先頭へ]勘定合って銭足らず (かんじょうあってぜにたらず)
計算は合っているのに、肝心の現金が不足している。理論と実際とが合わないことのたとえ。
[←先頭へ]韓信の股くぐり (かんしんのまたくぐり)
大望を抱く者は、どんな屈辱にも耐え、よく我慢するというたとえ。
【故】
中国・前幹の名称韓信が若いころ乱暴者に辱められ、その股をくぐる屈辱に耐えた。
【出】
史記
肝胆相照らす (かんたんあいてらす)
互いに心の底から交わること。意気投合すること。「肝胆」は肝臓と胆嚢のこと。転じて、心の奥底、真心の意。
[←先頭へ]邯鄲の歩み (かんたんのあゆみ)
自分の本分を忘れて人の真似をすると、すべてがダメになってしまうたとえ。
【故】
中国・燕の国の若者が、趙都。邯鄲の人の都会風でしゃれた歩き方を学ぼうとしたが、それを会得できなかったばかりか、自分の歩き方も忘れて這って国まで帰った。
【出】
荘子
邯鄲の夢 (かんたんのゆめ)
人の世の栄枯盛衰や、人間の一生がはかないことのたとえ。「邯鄲の枕」「邯鄲夢の枕」「黄梁一炊の夢」「黄梁の夢」「盧生の夢」などともいう。
【故】
中国・趙都・邯鄲で、盧生という若者がある道志から不思議な枕を借りて寝たところ、良い家庭に恵まれ、立身出生して栄耀栄華を極めるという、日ごろ理想としていた一生の夢を見た。ところが夢から覚めてみると、宿屋の主人が炊いていた黄梁が煮え切らない、ごく短い間であった。
干天の慈雨 (かんてんのじう)
日照り続きのときに降る恵の雨。待ち望んでいたときに期待していたものが得られること。また、困っているときに救いの神が現れるたとえ。「干天」は「旱天」とも書く。
[←先頭へ]艱難汝を玉にす (かんなんなんじをたまにす)
逆境は人間を賢くするということ。「艱難」は難儀、苦労。「玉にす」は立派にする、美しくするの意。
[←先頭へ]堪忍袋の緒が切れる (かんにんぶくろのおがきれる)
我慢が限度を超えて、怒りが爆発してしまうことを言う。「堪忍袋」は、我慢できる心の広さを袋にたとえた言葉。
[←先頭へ]肝脳地に塗る (かんのうちにまみる)
肝臓も脳も土まみれになる。職場でむごたらしい死に方をすること。また、困窮の極みに陥った状態のたとえ。
[←先頭へ]間髪を容れず (かんぱつをいれず)
間に髪の毛1本を容れる隙間もない。事態が切迫して、少しもゆとりがないこと。転じて、即座に、とっさにの意。
[←先頭へ]管鮑の交わり (かんぽうのまじわり)
お互いの立場を理解し、信頼しあって利害にとらわれない親密な交わり。
【故】
中国の春秋時代、斉の名宰相といわれた管仲とその親友鮑叔の交際のこと。若いころ2人は商いをして利益を上げたが、貧乏な管仲が儲けを多くとることを鮑叔が許した。
【類】
水魚の交わり、断金の交わり、刎頚の交わり
棺を覆いて事定まる (かんをおおいてことさだまる)
棺に蓋をして後、その人の真の評価が定まる。生きている間は正しい判断を下せないもので、人間の本当の評価は死後に決まるということ。
[←先頭へ]聞いて極楽見て地獄 (きいてごくらくみてじごく)
話ではまるで極楽のようにすばらしいところだと聞いていたのに、実際に見てみると、地獄のようにひどいところだということ。江戸いろはかるたの1つ。
【類】
聞くと見るとは大違い
既往は咎めず (きおうはとがめず)
過ぎ去ってしまったことを今さら咎めても始まらない。それよりは先のことを大事にせよということ。
【出】
論語
奇貨置くべし (きかおくべし)
珍しい品物は、あとで必ず利益を生み出すから買っておけということ。転じて、絶好の機会は逃さず利用すべきだというたとえ。「奇貨」は珍しい品物。
【類】
好機逸すべからず
気が置けない (きがおけない)
気を遣わなくてもよい。遠慮する必要がなく、心から打ち解けられることを言う。「気が許せない」と解するのは間違いなので、要注意。
[←先頭へ]気が利きすぎて間が抜ける (きがききすぎてまがぬける)
細部まで気を利かせすぎて、かえって肝心なことが抜けていること。「気が利いて間が抜ける」ともいう。
[←先頭へ]忌諱に触れる (ききにふれる)
人の忌み嫌う発言をして、その人の機嫌を損なうこと。「忌」も「諱」も、忌み嫌う意。「諱」の音は「キ」だけだが、慣用読みで「忌諱」を「キイ」とも読む。
[←先頭へ]危急存亡の秋 (ききゅうそんぼうのとき)
危険な事態が目前にあり、生き残れるか滅亡するかの重大な瀬戸際のこと。「秋」は穀物を収穫する時期の意から、重大な時を表す。
【出】
出師表
聞くと見るとは大違い (きくとみるとはおおちがい)
噂で聞いたことと、実際に目にしたことでは大きな違いがあるということ。
【類】
聞いて極楽見て地獄。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥 (きくはいっときのはじきかぬはいっしょうのはじ)
知らないことを人に聞くのは恥ずかしいことだが、そのときだけのこと。聞かなければ、一生そのことを知らずに恥ずかしい思いをする。知らないことは恥ずかしがらずに聞けという戒め。
【類】
問うは一旦の恥問わぬは末代の恥。
騎虎の勢い (きこのいきおい)
物事にはずみがついて、途中でやめられなくなるたとえ。「騎虎」は虎に乗ること。虎の背に乗って走り出したら、途中で降りると虎に食い殺されてしまうから降りられない。そのまま成り行きに任せるしか方法がないということ。
[←先頭へ]樹静かならんと欲すれども風止まず (きしずかならんとほっすれどもかぜやまず)
親孝行をしたいと思ったときには、親がもうこの世にいなくてままならないたとえ。
【出】
韓詩外伝
【類】
石に布団は着せられず。孝行のしたい時分に親はなし。
雉も鳴かずば撃たれまい (きじもなかずばうたれまい)
雉もそのとき鳴いていなければ、猟師に打たれることもなかっただろう。余計なことを口にしなければ、災いを招くことはないというたとえ。
【類】
口は禍の門。
帰心矢の如し (きしんやのごとし)
矢が勢いよく飛んで行くように、一刻も早く故郷や家へ帰りたい気持ちのたとえ。
[←先頭へ]驥足を展ぶ (きそくをのぶ)
名馬が足を伸ばして全力で走る。才能のある人間が、十分に能力を発揮するたとえ。「驥」は1日に千里を走る名馬。
[←先頭へ]来る者は拒まず (きたるものはこばまず)
自分の考えに賛同して従おうとする者は、受け入れて拒絶しない。相手の自由意志を尊重して干渉しないということ。「来る者は拒まず去る者は追わず」と続けても言う。
[←先頭へ]木で鼻をくくる (きではなをくくる)
ひどく無愛想で、冷淡な応対をすること。略して「木で鼻」とも言う。「くくる」は、こするという意味の「こくる」が変化したもの。鼻を木でこすっても、しっくりこないことから。
[←先頭へ]木に竹を接ぐ (きにたけをつぐ)
質の異なる木と竹を接木することから、調和しないこと、しっくりこないことのたとえ。略して「木に竹」とも言う。
[←先頭へ]木に縁りて魚を求む (きによりてうおをもとむ)
木に登っても魚は捕れない。手段を間違っては、望むものは手に入らないということ。
[←先頭へ]機に因りて法を説け (きによりてほうをとけ)
仏教の真理は1つだが、相手に応じて臨機応変に話をせよということ。転じて、チャンスをとらえて道理を説けということ。「機」は仏教用語の「機根」のことで、教えを聞き修行できる能力や性質。「法」は真理のこと。
[←先頭へ]昨日の襤褸今日の錦 (きのうのつづれきょうのにしき)
昨日ボロを着ていた人が、今日はきれいな着物を身に着ている。人の運命は変わりやすく、人生の浮き沈みが激しいたとえ。「昨日の錦今日の襤褸」とも言う。「襤褸」は、ボロ衣。「錦」は美しい着物のこと。
[←先頭へ]昨日の友は今日の敵 (きのうのともはきょうのてき)
昨日親しかった友が今日は敵となっている。人の心は変わりやすく、あてにならぬということ。「昨日の友は今日の仇」とも言う。
[←先頭へ]昨日は昨日今日は今日 (きのうはきのうきょうはきょう)
昨日と今日は違う。昨日あったことが今日もあると思うのは間違いだということ。
【類】
昔は昔今は今。
昨日は人の身今日は我が身 (きのうはひとのみきょうはわがみ)
昨日他人に降りかかった災難が、今日自分のものになるかもしれない。人の運命は、いつどのように変わるかもしれないということ。また、人の不幸を自分の戒めにせよという教え。
[←先頭へ]木の実は本へ (きのみはもとへ)
木の枝になった実はその木の根元に落ちる。物事はすべて起こってきた大本へ返るということ。「木の実は本へ落つる」「木の実は木の本」とも言う。
[←先頭へ]驥尾に付す (きびにふす)
一日に千里を走る名馬の尾に止まった蝿は、同じく千里の距離を行くことができる。平凡な人間でも優れた人に従っていけば、自分の能力以上のことができるということ。また、後輩が優れた先輩の引き立てで出世することを言う。
[←先頭へ]木仏金仏石仏 (きぶつかなぶついしぼとけ)
男女間の機微の分からぬ人を指していうことが多い。「木仏」は心の冷たい人、「石仏」は口数の少ない人のたとえ。
[←先頭へ]季布の一諾 (きふのいちだく)
確実に信頼できる承諾のこと。
【故】
中国・楚(そ)の国の名将季布が、いったん承諾すれば絶対にその約束を破らなかった。
【類】
一諾千金
君君たらずと雖も臣は臣たらざるべからず (きみきみたらずといえどもしんはしんたらざるべからず)
君主が君主としての徳がなくても、臣下はあくまで臣下としての道を守り、忠義を尽くさなければならないという儒教の教え。
[←先頭へ]木もと竹うら (きもとたけうら)
木は根元から、竹は先のほうから割ると容易に割れる。物事にはやりやすい方法や順序があるというたとえ。「うら」は「末」で先の部分。
[←先頭へ]九牛の一毛 (きゅうぎゅうのいちもう)
9頭の牛の中の1本の毛ほどのもの。取るに足らない些細なことのたとえ。
[←先頭へ]九死に一生を得る (きゅうしにいっしょうをえる)
死の瀬戸際から、辛うじて生還する。助かる見込みが十のうち1つだったの意。略して「九死一生」ともいう。
【類】
死中に活を求める。
牛耳を執る (ぎゅうじをとる)
同盟の盟主となる。転じて、集団の中心人物となって主導権を握るたとえ。「牛耳る」もここから出た言葉。
【故】
中国の春秋時代、諸侯が同盟を結んだ際、その同盟の中心となる人物がいけにえの牛の耳を執って切り、皆でその血をすすって誓い合った。
九仞の功を一簣に虧く (きゅうじんのこうをいっきにかく)
高い築山を築くにも、最後のもっこ一杯の土がなければ完成しない。完成寸前の物事が、最後の油断のため、不成功に終わるたとえ。「九仞」は非常に高いこと。「簣」はもっこ。
【出】
書経
【類】
百日の説法屁一つ
窮すれば通ず (きゅうすればつうず)
行き詰まって絶体絶命の状態になると、案外活路が生じるものだという教え。
[←先頭へ]窮すれば濫す (きゅうすればらんす)
人間は、困った状態になると、取り乱して悪いことでもやってしまうということ。
[←先頭へ]窮鼠猫を噛む (きゅうそねこをかむ)
猫に追い詰められたネズミは、反対に猫に噛みついて反撃する。転じて、どんな弱者でも追い詰められて逃げ道がなくなると、死にもの狂いで反撃するというたとえ。
[←先頭へ]窮鳥懐に入れば猟師も殺さず (きゅうちょうふところにはいればりょうしもころさず)
追い詰められ逃げ場を失った鳥が、猟師の懐に飛び込んでくれば、猟師と言えどもこれを殺しはしない。ましてや、これが人であった場合は、どんな事情があっても助けるのが人情ということ。
[←先頭へ]朽木は雕るべからず (きゅうぼくはえるべからず)
朽ちた木には彫刻をすることができない。やる気のまるでない怠け者には、どんなことをしてもものを教えることはできないというたとえ。
[←先頭へ]兄弟は他人の始まり (きょうだいはたにんのはじまり)
血を分けた仲のよい兄弟であっても、成人して家庭を持つと妻子中心の生活が優先するから、やがては互いの交流が薄らぎ、他人のようになってしまうことを言う。
[←先頭へ]京に田舎あり (きょうにいなかあり)
にぎやかな都会の中にも、田舎っぽい寂しい場所や古い風習が残っているということ。京都いろはかるたの1つ。
[←先頭へ]京の着倒れ大阪の食い倒れ (きょうのきだおれおおさかのくいだおれ)
京都の人は着道楽、大阪人は食い道楽で金を惜しまない人が多く、そのため身代を傾ける者もいるということ。
[←先頭へ]喬木は風に折らる (きょうぼくはかぜにおらる)
高く伸びた木は、風当たりが強いから風害に遭って折れやすい。人も地位が高くなると他人から批判や攻撃されることが多く、災厄を受けやすいというたとえ。「大木は風に折らる」「高木は風に折らる」とも言う。
【類】
出る杭は打たれる。
旭日昇天の勢い (きょくじつしょうてんのいきおい)
朝日が天に昇るように、勢いが盛んなこと。「旭日」は朝日のこと。
[←先頭へ]居は気を移す (きょはきをうつす)
居場所は人の気持ちを変化させる。地位や環境によって、人の考えや人柄が変わるということ。
【出】
孟子
漁父の利 (ぎょふのり)
当事者同士が争っている隙に、第三者が労せずに利益を横取りするたとえ。「漁父」は「漁夫」とも書き、漁師のこと。
【故】
昔中国で、鷸(しぎ)が蚌(はまぐり)の肉を食べようとして、貝にくちばしをはさまれてしまい、互いに争っているうちに漁師がやってきて、まんまと両方を捕らえてしまった。
器用貧乏人宝 (きようびんぼうひとだから)
器用な人は何でもそつなくこなすが、1つのことに打ち込めないので結局は裕福になれない。反面、他人からは重宝がられることを言う。「人宝」は他人にとっては宝という意味。
[←先頭へ]清水の舞台から飛び降りる (きよみずのぶたいからとびおりる)
崖の上にある京都清水寺の観音堂舞台から、思い切って飛び降りる。一大決心をし、必死の覚悟でことを行うたとえ。
[←先頭へ]義を見てせざるは勇なきなり (ぎをみてせざるはゆうなきなり)
人の道として当然行わなければならないと知りながら、それを実行しないのは、その人に勇気がないからだ。
【類】
論語
槿花一日の栄 (きんかいちじつのえい)
朝咲いていて夕方にはしぼむ槿の花のように、人間の栄華がはかないたとえ。「槿花一朝の夢」とも言う。
【類】
朝顔の花一時
琴瑟相和す (きんしつあいわす)
夫婦仲がきわめて睦まじいたとえ。「瑟」は大きな琴。琴と瑟は合奏すると音がよく調和するからそう言う。もとは家族の仲が睦まじいという意味だった。
[←先頭へ]錦上に花を添える (きんじょうにはなをそえる)
きれいな錦の布の上に美しい花を置く。美しく立派なものの上に、さらに美しく立派なものを重ねて加えること。
[←先頭へ]金石の交わり (きんせきのまじわり)
金属の石のように、固く変わらない友情のこと。
【類】
金蘭の契、断金の交わり、管鮑の交わり、刎頚の交わり
金蘭の契 (きんらんのちぎり)
きわめて親しい友人の交わり。その交わりの固さは金をも断ち、心を同じくした者の言葉は蘭のように香りしいということ。
【出】
易経
【類】
管鮑の交わり、金石の交わり、断金の交わり、刎頚の交わり
苦あれば楽あり (くあればらくあり)
苦しいことがあれば、その後で楽なこと、楽しいことがある。人生の苦楽は一概には言えないということ。
【類】
苦は楽の種
愚公山を移す (ぐこうやまをうつす)
辛抱強く努力を続ければ、ついには成功するというたとえ。
【故】
昔中国で、愚公という人が家の前にある山が邪魔だからよそに移そうとして、孫、曾孫の代までかかる覚悟で始めたところ、天帝がその意気に感じて山を他へ移したという。
臭い物に蝿がたかる (くさいものにはえがたかる)
臭い物に蝿が好んでたかるように、醜悪なものが類を持って集まるたとえ。京都いろはかるたの1つ。
[←先頭へ]臭いものに蓋をする (くさいものにふたをする)
悪臭が外に漏れないよう容器の蓋を閉めること。転じて、都合の悪いことを姑息な手段で一時しのぎに隠すたとえ。
[←先頭へ]腐っても鯛 (くさってもたい)
たとえ腐っていても、鯛は鯛で、魚の王様に変わりはない。本当に優れているものは、どんな状態であってもそれなりの値打ちがあるということ。
[←先頭へ]草を打って蛇を驚かす (くさをうってへびをおどろかす)
草を打ってそこに隠れていた蛇を驚かす。何の気なしにしたことが予期せぬ災いを招くこと。また、1人をこらしめて、その他の人間全員を戒めるたとえ。
[←先頭へ]草を結ぶ (くさをむすぶ)
死後に恩返しをするたとえ。
【故】
中国の春秋時代、晋の魏かは父の死後、その妾を他家へ嫁がせた。父の臨終の遺言は殉死させよだったが、生前他家へ嫁がせよといっていたので、それに従ったのである。その後、晋は秦と戦った。戦場で秦の勇将杜回とまみえた魏かは、戦場の草という草が結ばれているのに難渋した杜回を討ち取ることができた。戦場の草を結んだのは、かの妾の父親であり、娘の恩に報いたのだった。
孔子の倒れ (くじのたおれ)
孔子でもときにはつまづいて倒れることがある。どんなに優れた人であっても、ときには失敗することもあるというたとえ。「くじ」は孔子の呉音読み。
【類】
弘法にも筆の誤り。猿も木から落ちる。
愚者も一得 (ぐしゃもいっとく)
愚か者の考えにも、1つぐらいはいい考えがあるということ。「愚者にも一得」とも言う。
【類】
千慮の一得
薬人を殺さず薬師人を殺す (くすりひとをころさずくすりしひとをころす)
薬が人を殺すのではなく、それを使う医者が人を殺すのである。罪はものにあるのではなく、それを使う人間にあるというたとえ。「薬師」は医者のこと。
[←先頭へ]薬も過ぎれば毒となる (くすりもすぎればどくとなる)
効き目のある薬も度を過ごせば毒となる。どんなによいものでも、限度を超せば害になるということ。
【類】
過ぎたるは猶及ばざるが如し
癖ある馬に能あり (くせあるうまにのうあり)
よく走る馬には、何らかの癖がある。人間も、一癖ある者には、一面では、何らかの取り柄があるということ。
[←先頭へ]管の穴から天を覗く (くだのあなからてんをのぞく)
細い管の穴から天を覗いてみても、天のほんの一部しか見えない。狭い見識で大きな物事を論じてみても、その真相は分からないということ。見識が狭いことのたとえ。「管を以って天を窺う」「針の穴から天を覗く」「葦の髄から天井を覗く」ともいう。
【類】
貝殻で海を量る
朽ち木は柱にならぬ (くちきははしらにならぬ)
腐った木は柱には使えない。人間も同じで、根性の腐った者は使いものにならないということ。
[←先頭へ]口自慢の仕事下手 (くちじまんのしごとべた)
口は達者だが、仕事はまるでダメなこと。口の割には手が動かぬことをいう。
【類】
口叩きの手足らず
口に蜜あり腹に剣あり (くちにみつありはらにけんあり)
蜜のように甘い言葉を口にしながら、腹の中では人を殺す剣を研いでいる。口先ではうまいことを言いながら、内心は非常に陰険な人のたとえ。
【類】
笑中の剣
口は禍の門 (くちはわざわいのもん)
不用意に出た言葉から失敗を招くことがある。口は慎まねばならないという戒め。「門」は「かど」とも読む。
【類】
舌は禍の根、病は口より入り禍は口より出づ
唇滅びて歯寒し (くちびるほろびてはさむし)
唇がなくなると歯が寒くなる。相互に助け合っている一方が滅びると、他の一方も危うくなるということ。
[←先頭へ]口も八丁手も八丁 (くちもはっちょうてもはっちょう)
しゃべることも、手仕事も非常に達者な者のこと。ほめる場合よりも、言うことやすることがあまり信用できない点をけなして言う場合が多い。略して「口八丁手八丁」とも言う。
[←先頭へ]苦肉の策 (くにくのさく)
自分の身をも犠牲にしてまでめぐらす策。考えあぐね、苦労した末に考え出した策略のこと。「苦肉の計」とも言う。「苦肉」は、敵を欺く手段として自分の体(肉)を苦しめる意。
[←先頭へ]国乱れて忠臣見る (くにみだれてちゅうしんあらわる)
国が乱れると、初めて忠臣の姿がはっきり現れる。国がよく治まっているときには、誰が忠臣で誰が不忠の臣なのかはっきりしないが、国が乱れて危機に瀕すると、真の忠臣が誰なのかはっきりするということ。
[←先頭へ]苦は楽の種 (くはらくのたね)
今苦労をしているのは、先で楽をするための種を蒔いているようなものだということ。「楽は苦の種、苦は楽の種」とも言う。
[←先頭へ]首振り三年ころ八年 (くびふりさんねんころはちねん)
尺八を吹くのに、首を振って音が出せるようになるのに3年かかり、ころころとよい音色を出すには8年かかる。どんな道でも、相応の腕になるには長い修行が必要だということ。
[←先頭へ]暗闇の鉄砲 (くらやみのてっぽう)
闇の中で照準を定めずに鉄砲をぶっ放す。あてずっぽうに事を行うこと。また、向こう見ずな行為のたとえ。「暗がりの鉄砲」「闇夜の鉄砲」とも言う。
[←先頭へ]苦しい時には親を出せ (くるしいときにはおやをだせ)
言い訳や釈明に困ったときは、親の病気などを持ち出せば何とかなるということ。
[←先頭へ]苦しい時の神頼み (くるしいときのかみだのみ)
信仰心のない者が、苦境に陥るとそのときだけ神仏に祈り、助けを求めること。また、日頃は疎遠にしている人に、苦しいときだけ頼ろうとすること。「切ない時の神頼み」「叶わぬ時の神頼み」とも言う。
[←先頭へ]紅は園生に植えても隠れなし (くれないはそのうにうえてもかくれなし)
紅花はどんな花園に植えても、際立って人目を引く。才能や力量の優れている人は、どんなところにいても自然に目立つというたとえ。
【類】
錐の嚢中に処るが如し
暮れぬ先の提灯 (くれぬさきのちょうちん)
まだ明るいうちから提灯に火を入れる。先回りをしすぎて、かえって間が抜けているたとえ。
[←先頭へ]君子危うきに近寄らず (くんしあやうきにちかよらず)
思慮深い人間は、身を慎んで危険なことは避け、無用な災難に遭わない。
【対】
虎穴に入らずんば虎子を得ず
君子の交わりは淡きこと水の如し (くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)
教養ある人の交際は、外見は淡々として水のようにあっさりとしているが、次第に親しみを増し、その友情はいつまでも変わらないということ。
[←先頭へ]君子は憂えず懼れず (くんしはうれえずおそれず)
道理をわきまえている人間は、自らを省みて疚しいところがないから、くよくよと心配することもないし、恐れることもないということ。
【出】
論語
君子は器ならず (くんしはきならず)
真に優れた人間は、1つの使い道しかない器物のように、一技一芸に優れているばかりはない。全体を見渡す広い視野と円満な人格を持っているのが、君子と呼ばれる人間だということ。
【出】
論語
君子は義に喩り小人は利に喩る (くんしはぎにさとりしょうじんはりにさとる)
教養のある人間は、すべての物事を正しい道に合うかどうかという点から考えるものだが、器量の小さい人間は、すべての物事を損得の面からしか考えないということ。
【出】
論語
君子は言に訥として行いに敏ならんと欲す (くんしはげんにとつにしておこないにびんならんとほっす)
教養のある人間は、言葉は少なくして、行動は機敏でありたいと願っているということ。口先よりも実行することを重んじるということ。
【出】
論語
君子は豹変す (くんしはひょうへんす)
教養ある人は、自分の過ちを悟ったら即座にそれを改めることを言う。ただし現在では、単に態度ががらっと変わる、悪いほうに変わる場合でも使われる。「豹変」は、豹の毛が抜け落ちて模様が鮮やかになること。
【出】
易経
君子は交わり絶ゆとも悪声を出さず (くんしはまじわりたゆともあくせいをいださず)
教養のある人格者は、絶交するような事態になっても、その相手の悪口は決して言わないものだということ。
[←先頭へ]君子は和して同ぜず小人は同じて和せず (くんしはわしてどうぜずしょうじんはどうしてわせず)
優れた人間は人との和を重んじて付き合うが、利に反してまではむやみに同調しない。反対に、つまらぬ人間はやたらと人と同調するが、利害が相反すると離れていってしまうということ。
【出】
論語
葷酒山門に入るを許さず (くんしゅさんもんにいるをゆるさず)
臭いのある野菜と酒は、修行の妨げになるので、寺の門内に持ち込むことを許さない。「葷酒」は、ネギやニラなど臭いのある野菜全般の意。禅寺の門の脇には「不許葷酒入山門」と刻まれた石碑が立っている。
[←先頭へ]形影相弔う (けいえいあいとむらう)
我が身と影法師が互いに慰めあっている。訪れる人も、同情してくれる人もいない、寂しい独りぼっちな状態。「相弔う」は違うに慰め合うの意。
[←先頭へ]傾蓋旧の如し (けいがいきゅうのごとし)
道端で車の蓋を傾け、ほんの少し語り合っただけで、昔からの友人のように親しくなる。ちょっと会っただけで意気投合し、親密な交わりを結ぶたとえ。「傾蓋」は、車の蓋を傾けて寄り合って話をすること。
[←先頭へ]謦咳に接す (けいがいにせっす)
尊敬する人や貴人に、じかに面会すること。「謦咳」はせきばらい。間近でその人の咳払いを聞くということで、親しく面会するという意。
[←先頭へ]鶏群の一鶴 (けいぐんのいっかく)
平凡なものの中に、極めて優れたものが1つ混じっていることをいう。
【類】
掃き溜めに鶴
鶏口となるも牛後となるなかれ (けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
大きな組織の末端にいるよりも、たとえ小さくても組織のトップに君臨しているほうがいいということ。略して「鶏口牛後」とも言う。「鶏口」は鶏の口の意から、小さな組織の長のたとえ。「牛後」は牛の尻の意から、大きな組織の末端のたとえ。
[←先頭へ]兄たり難く弟たり難し (けいたりがたくていたりがたし)
どちらを上位の兄とし、下位の弟とするのかが難しい。どちらが優れているか優劣が決められないということ。
【類】
伯仲の間
兄弟かきに鬩げども外その侮りを禦ぐ (けいていかきにせめげどもそとそのあなどりをふせぐ)
兄弟は家の中でけんかをしていても、外部から侮辱されれば、一致協力して防ぎ守る。友人ではそうはいかないということ。「鬩ぐ」はいさかい争うこと。
[←先頭へ]芸は道によって賢し (げいはみちによってかしこし)
一芸に秀でた人は、その分野のことは知り尽くしており、その分野では他の人より優れているということ。
【類】
餅は餅屋
芸は身を助ける (げいはみをたすける)
道楽で身につけた芸でも、ときには生計の助けになることがある。また、思いがけない役に立つこともあるということ。江戸いろはかるたの1つ。
[←先頭へ]桂馬の高上がり (けいまのたかあがり)
人間は身分不相応な地位についたり、軽はずみな行動をとると、失敗することが多いということ。将棋の駒・桂馬の動きからきた言葉。「桂馬の高跳び歩の餌食」とも言う。
[←先頭へ]怪我の功名 (けがのこうみょう)
失敗だと思ったことが反対に好結果となること。また、何気なくやったことが思いがけなく手柄になることを言う。「過ちの功名」とも言う。「怪我」は失敗、過ちのこと。
[←先頭へ]逆鱗に触れる (げきりんにふれる)
天子の怒りに遭うこと。現代では、目上の人を怒らせてしまうたとえ。「逆鱗」は竜のあごの下に逆さに生えた鱗。
[←先頭へ]下戸の建てたる蔵もなし (げこのたてたるくらもなし)
酒を飲めない下戸が、酒代分で蔵を建てたという話は聞いたことがない。酒を飲む飲まぬは、資産とは関係がないということ。酒飲みが下戸を馬鹿にして言う言葉、また酒飲みの自己弁護の言葉。「上戸のつぶした蔵はある」という言葉もある。
[←先頭へ]下種と鷹とに餌を飼え (げすとたかとにえをかえ)
卑しい者と鷹のように性格の荒い者には、心付けや食べ物を与えて、手なずけなければ思うようにならないということ。
[←先頭へ]下種の勘繰り (げすのかんぐり)
卑しい者は不必要に気を回して、見当違いの邪推をするということ。
[←先頭へ]下種の逆恨み (げすのさかうらみ)
品性の卑しい人間は、人が親切に忠告してくれても、自らを省みることをしないから、悪口を言われたと思って逆にその人を恨むということ。
[←先頭へ]外面似菩薩内心如夜叉 (げめんじぼさつないしんにょやしゃ)
顔は菩薩のように美しく優しく見えるが、心の中は夜叉のように恐ろしく意地悪い人のたとえ。仏教で、女性について言った言葉。「外面如菩薩内心如夜叉」とも言う。
[←先頭へ]螻蛄の水渡り (けらのみずわたり)
どんなに努力しても無理であること。また、最初は熱中していても途中でやめるたとえ。「お螻蛄の水渡り」とも言う。「螻蛄」は土中の虫で、長くは泳げない。
[←先頭へ]毛を吹いて疵を求む (けをふいてきずをもとむ)
髪の毛を左右に吹き分けて小さな傷を探し出す。無理に他人の悪事や欠点を暴き出し、追及すること。また、そうすることによって逆に自分の欠点をさらけ出すことを言う。
【類】
藪をつついて蛇を出す。
喧嘩過ぎて棒千切 (けんかすぎてぼうちぎり)
喧嘩が終わった後で棒を持ち出す。時期を失って役に立たないたとえ。「喧嘩過ぎての向こう鉢巻」「喧嘩過ぎての空威張り」「争い果てての棒千切」とも言う。「千切」は「乳切」とも書き、中央を少し細く削った棒。
[←先頭へ]懸河の弁 (けんがのべん)
淀みがなく、勢いのある弁舌のたとえ。「懸河」は川の急流や滝。急流のように激しく流れ下る弁舌の意。
【類】
立て板に水
喧嘩両成敗 (けんかりょうせいばい)
喧嘩をした者は、どちらが良い悪いの区別なく、双方とも同等に処罰するということ。「成敗」は処罰の意。江戸時代のしきたり。
[←先頭へ]賢者は中道を取る (けんじゃはちゅうどうをとる)
教養のある賢い人は、偏らない中正な道を歩むもので、過激な行動をしないということ。
[←先頭へ]賢者は長い耳と短い舌を持つ (けんじゃはながいみみとみじかいしたをもつ)
賢い人は他人の話をよく聞くが、自分は余計なことは言わないということ。
【類】
賢者は九聞いて一しゃべる
賢者ひだるし伊達寒し (けんじゃひだるしだてさむし)
賢者と呼ばれる人は金儲けとは無縁だから、いつも貧乏で腹を減らしているし、伊達者は薄着で見栄を張るから、いつも寒い思いをしている。世間並みのことをしないとつらい思いをするということ。また、やせ我慢や見栄もほどほどにせよという戒め。
[←先頭へ]堅白同異の弁 (けんぱくどういのべん)
こじつけの論理。詭弁のこと。堅くて白い石は、目で見たときには白いことは分かるが堅いことは分からない。手で触れたときには堅いことは分かるが白いことは分からない。だから、堅いことは白いことと同時には成立しないという論法。
【類】
白馬は馬に非ず
犬馬の養い (けんばのやしない)
父母を養うのに、犬や馬を飼うようにただ食べさせるだけで、敬う心が全くないことをいう。
【出】
論語
犬馬の労 (けんばのろう)
犬や馬程度の苦労や働き。他人のために力尽くして働くことをへりくだって言う言葉。また、主君や目上のために力を尽くし、奔走するたとえ。「犬馬の労をとる」とも言う。
[←先頭へ]御意見五両堪忍十両 (ごいけんごりょうかんにんじゅうりょう)
人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りをこらえて我慢することは十両の値打ちがある。人の意見をよく聞いて、何事にも忍耐することが大事だということ。
[←先頭へ]恋に上下の隔てなし (こいにじょうげのへだてなし)
恋愛には、身分の上下、年齢の差、貧富の差による制約はなく、自由だということ。
[←先頭へ]鯉の滝登り (こいのたきのぼり)
人が立身出世するたとえ。
【故】
黄河の上流にある竜門の急流をさかのぼった鯉は、竜となって天に登るという伝説がある。
鯉の一跳ね (こいのひとはね)
捕らえられた鯉は、一度だけ跳ねるが、あとはじたばたしない。あきらめのよいこと、最期がいさぎよいことのたとえ。「鯉の水離れ」とも言う。
[←先頭へ]恋は思案の外 (こいはしあんのほか)
こと恋に関しては、男女の組み合わせも、経緯も、その結末も、常識ではとうてい理解できないことが起こり得るということ。
[←先頭へ]光陰矢のごとし (こういんやのごとし)
月日の経つのは早いものだというたとえ。「光」は日、「陰」は月の意。「光陰」は年月、時間。年月が放たれた矢のように、速やかに過ぎ去っていくことを言う。
【類】
歳月人を待たず
後悔先に立たず (こうかいさきにたたず)
後悔は後で悔いるもので先には来ない。事が終わってしまってから悔やんでみても、どうしようもないということ。事前に考えてから行動せよという戒め。
[←先頭へ]高閣に束ぬ (こうかくにつかぬ)
書物などを高い棚に束ねて放置したまま、利用しないこと。また、人を長い間任用しないたとえ。「高閣」は高い棚の意。
[←先頭へ]剛毅木訥は仁に近し (ごうきぼくとつはじんにちかし)
意志が強く、飾り気がなくて口数が少ない人は、仁の美徳に最も近いということ。
【出】
論語
巧言令色鮮し仁 (ごうげんれいしょくすくなしじん)
言葉を巧みにあやつり、顔色を繕って人を喜ばせ、他人に媚びへつらう人は、仁の心が欠けている。「巧言」は口先が巧いこと。「令色」は顔色を取り繕うこと。
【出】
論語
【対】
剛毅木訥は仁に近し
孝行のしたい時分に親はなし (こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親孝行をしたいと思うときには、親はもう死んでしまってこの世にはいない。親のありがたみが分かるのは、親をなくした後だという嘆きと後悔の気持ちをいう。
【類】
石に布団は着せられず、樹静かならんと欲すれども風止まず
恒産なき者は恒心なし (こうさんなきものはこうしんなし)
定まった職や財産のない者は、落ち着いた正しい心が持てない。暮らしが安定しないと精神的安定もないということ。
【出】
孟子
好事魔多し (こうじまおおし)
うまくいきそうなことには、往々にして邪魔が入りやすいことをいう。
【類】
月に叢雲花に風
孔子も時に遭わず (こうしもときにあわず)
あの孔子でさえ、時勢に乗れず不遇なまま終わった。才能に優れ人柄がよい人でも、機会に恵まれず埋もれてしまうことがあるというたとえ。「聖人も時に遭わず」とも言う。
[←先頭へ]好事も無きに如かず (こうじもなきにしかず)
たとえ好きなことであっても、ないほうがいい。あればあったで煩わしいことが生じるから、何もないほうがいい。人生無事が一番だということ。
[←先頭へ]好事門を出でず (こうじもんをいでず)
よい行いや評判は門の外へ出ない。世間に伝わりにくいということ。「好事門を出でず、悪事千里を行く」と続けても言う。
[←先頭へ]後生畏るべし (こうせいおそるべし)
年少の者は、本人の努力次第でどれほどの人物に成長するか分からない。若いからといって侮ることはできないということ。「後生」は、後から生まれた者、後輩、若輩のこと。
【出】
論語
孔席暖まらず墨突黔まず (こうせきあたたまらずぼくとつくろまず)
道や教えを伝えるために東奔西走するたとえ。
【故】
孔子と墨子は自分の道を伝えるために天下を歩き回っていたから、孔子の座席は暖まる暇がなく、墨子の家の煙突は炊事をしないから黒くなることがなかった。
【類】
席暖まる暇あらず
浩然の気を養う (こうぜんのきをやしなう)
広々として屈託のない気持ちになること。「浩然の気」は、天地の間に満ち満ちている非常に盛んな精気のこと。
【出】
孟子
巧遅は拙速に如かず (こうちはせっそくにしかず)
できがよくても遅いのは、できが悪くて早いのには及ばない。物事はすばやく決行するのが肝要だということ。
【出】
孫子
狡兎死して走狗烹らる (こうとししてそうくにらる)
利用価値がある間は重宝して使われるが、価値がなくなればあっさり捨てられてしまうたとえ。獲物のウサギが死んでいなくなると猟犬は用済みになって煮て食われてしまう。敵国が滅亡すれば、戦功のあった謀臣は、邪魔になり殺されてしまうということ。
[←先頭へ]功成り名遂げて身引くは天の道なり (こうなりなとげてみひくはてんのみちなり)
成功して名声を得たならば、いつまでもその地位にしがみついていないで、早々に引退するのが道理にかなっているやり方だということ。
【出】
老子
郷に入っては郷に従え (ごうにいってはごうにしたがえ)
人はどこに住んでも、その土地の風俗や習慣に従ったほうがいい。新しい環境に移ったら、それに従うのが世渡り上手だということ。
【類】
人の踊る時は踊れ
考は百行の本 (こうはひゃっこうのもと)
孝行はすべての善行の基本だということ。「百行」は、すべての善い行いのこと。
[←先頭へ]弘法にも筆の誤り (こうぼうにもふでのあやまり)
どの道の名人・達人でも、ときには間違えるというたとえ。
【故】
弘法大師のような書の名人でも、書き損なうことはある。
【類】
孔子の倒れ。上手の手から水が漏る。猿も木から落ちる。
弘法筆を択ばず (こうぼうふでをえらばず)
書の名人である弘法大師は、筆のえり好みをせず何時でも立派な字を書いた。本当の名人・達人は道具や材料に文句を言わず、うまくやりおおせることをいう。
【故】
書の名人である弘法大師は、筆のえり好みをせず何時でも立派な字を書いた。
功名を竹帛に垂る (こうみょうをちくはくにたる)
歴史にその名を残すたとえ。「竹」は竹を削った札。「帛」は絹の布。紙が発明される前はこれに文字を書いていたことから、「竹帛」で書物、歴史の意となる。「垂る」は残すの意。
【類】
竹帛の功。
紺屋の明後日 (こうやのあさって)
当てにならない約束のこと。染め物屋の仕事は天候に左右されるので、でき上がりの日時を聞かれると、いつも「明後日にはできる」と言い逃れをして当てにならないことから。「紺屋」は「こんや」とも読む。
[←先頭へ]紺屋の白袴 (こうやのしろばかま)
染め物屋なのに、自分は染めていない袴をはいている。身につけた専門知識が他人のためにのみ使われ、自分のためには使われないたとえ。また、自分のことが後回しになり、結局はできなくなること。
【類】
髪結いの乱れ髪。医者の不養生。大工の掘っ立て。
声なきに聴き形なきに視る (こえなきにききかたちなきにみる)
子は、親がそばにいなくても何を言おうとしているかを察し、親の姿をいつも心に描いていなければならない。親が言葉や言動に表さないうちにその気持ちを汲み取り、孝養をつくべきだということ。
[←先頭へ]氷に鏤め水に描く (こおりにちりばめみずにかく)
氷に彫刻を施してもすぐに溶けて形がなくなり、水に絵を描いても流れて形を止めない。労して功のないたとえ。
【類】
脂に画き氷に鏤む。
呉下の阿蒙 (ごかのあもう)
昔から少しも進歩の跡が見られない人物。また、無学でつまらない人物のたとえ。「呉下」は呉の地方。「阿」は親しみを表して人名につける接頭語で、日本語の「お」に当たる。
【故】
中国の三国時代、呉の魯粛が久しぶりに呂蒙に会ってその学問の進歩に驚き、「君はもう呉にいたときの蒙さんではない」と感嘆した。
呉牛月に喘ぐ (ごぎゅうつきにあえぐ)
水牛が月を見て、太陽だと勘違いして、もう喘いでいる。過度な恐怖症のたとえ。「呉牛」は水牛のこと。水牛は暑さに極端に弱いことから。
[←先頭へ]故郷に錦を飾る (こきょうににしきをかざる)
美しい高価な着物で身を飾って故郷へ帰る。故郷を離れていた人が立身出世をして、晴れがましい姿で凱旋するたとえ。「故郷へ錦を飾る」とも言う。
【類】
衣錦の栄。
極楽願わんより地獄作るな (ごくらくねがわんよりじごくつくるな)
死んで極楽へ行きたいと願うより、地獄へ落ちる原因を作らぬよう注意せよということ。また、この世で幸福になることを願うより、不幸になる原因を作るなという戒め。
[←先頭へ]虎穴に入らずんば虎子を得ず (こけつにいらずんばこじをえず)
虎の棲む穴に入らなければ、虎の子を生け捕りにはできない。何事であれ、危険を冒さなければ成功は収められないというたとえ。
[←先頭へ]虚仮の一心 (こけのいっしん)
愚かな者が、1つのことを一心にやろうとすること。また、愚かな者でも一心に取組めば、目的を達成できるということ。「虚仮の一念」とも言う。
[←先頭へ]沽券に関わる (こけんにかかわる)
人の品位、体面を傷つけること。「沽券」は土地の売り渡し証文。転じて、人の価値や信用の意。
[←先頭へ]虎口を逃れて竜穴に入る (ここうをのがれてりゅうけつにいる)
虎に食われる危険から逃れたと思ったら、次は竜の棲む穴に入ってしまったことから、危険や災難が次々と降りかかるたとえ。
【類】
一難去ってまた一難、前門の虎後門の狼
ここばかりに日は照らぬ (ここばかりにひはてらぬ)
太陽が照っているのはここだけではない。太陽がどこでも照っているように、世間は広くどこへ行っても生きていけるということ。
【類】
米の飯と天道様はどこへ行っても付いて回る
心ここに在らざれば視れども見えず (こころここにあらざればみれどもみえず)
上の空で見ていたのでは、視線を向けているだけで実際は何も見てはいない。精神を集中して事に当たらなければならないという戒め。
[←先頭へ]志は髪の筋 (こころざしはかみのすじ)
心を込めて贈れば、たとえ髪の毛のような些少な物でも、受け取った人は気持ちを酌んでくれるということ。
[←先頭へ]心の鬼が身を責める (こころのおにがみをせめる)
良心の呵責を受けるたとえ。「心の鬼」は、良心のこと。
[←先頭へ]小姑一人は鬼千匹にむかう (こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁の身にとって小姑は、1人が鬼の千匹にも匹敵するほどに厄介で、苦労の種だということ。「小姑」は夫の兄弟姉妹。「むかう」は、当たる、匹敵するの意。
[←先頭へ]五十にして四十九年の非を知る (ごじゅうにしてしじゅうくねんのひをしる)
五十歳になってみて初めて、それまで過ごしてきた四十九年がいかに過ちが多かったか分かる。人生は過ちの連続で、後悔することばかりが多いということ。
[←先頭へ]孤掌鳴らし難し (こしょうならしがたし)
1つの手のひらで手を打ち鳴らすことは難しい。人間は1人きりでは何もすることができないというたとえ。
[←先頭へ]古人の糟粕 (こじんのそうはく)
古の聖賢の言葉や書物。また、書物や学問を軽蔑すること。「糟粕」は酒の絞り粕のこと。聖人の本当の精神は言動で伝えることは難しく、書物に残っている言は、古人が用い尽した絞り粕のようなものだということから。
【類】
荘子
五臓六腑に沁みわたる (ごぞうろっぷにしみわたる)
腹の底まで、つまり身に沁みて感じること。「五臓」は、心臓、肺臓、肝臓、腎臓、脾臓の5つを言い、「六腑」は、胃、胆、大腸、小腸、膀胱、三焦の6つを言う。
[←先頭へ]壷中の天 (こちゅうのてん)
壷の中の世界。俗世間からかけ離れた別世界、1つの小天地。また、酒を飲んで俗世を忘れる楽しみのこと。
【故】
中国の後漢時代、薬売りの老人が夜になると店先の壷の中に入るのを見た費長房が、老人に頼み込んで壷の中に一緒に入ったところ、底には立派な御殿が建ち並び、酒や肴がふんだんにあったので、2人で飲みかつ楽しんだ。
胡蝶の夢 (こちょうのゆめ)
現実と夢の区別がつかないこと。また、人生が夢のようにはかないことのたとえ。「胡蝶」は蝶の異称。
【故】
むかし、中国の荘子が蝶になった夢を見たが、覚めた後で、夢の中で自分が蝶になったのか、蝶が自分になったのか、分からなくなった。
凝っては思案に余る (こってはしあんにあまる)
あまりに物事に熱中して凝りすぎると、冷静さを失い、よい考えが浮かんでこなくなるということ。
[←先頭へ]骨肉相食む (こつにくあいはむ)
親子兄弟など、肉親同士で争うこと。「骨肉」は肉親、血縁関係の意。
【類】
血で血を洗う
事が延びれば尾鰭が付く (ことがのびればおひれがつく)
物事は長引くと、厄介なことが起こってやりにくくなる。事はできるだけ速やかに処理せよという戒め。
[←先頭へ]琴柱に膠す (ことじににかわす)
琴を奏でるときには、琴柱を動かして音の調節をするのに、それを膠でくっつけて動かなくする。融通が利かないこと、臨機応変の処置が取れないたとえ。「琴柱」は、琴の弦を支える道具。
[←先頭へ]言葉は国の手形 (ことばはくにのてがた)
言葉のなまりによって、その人の国(出身地)が分かるということ。「訛(なまり)は国の手形」とも言う。「手形」は証明書のこと。
[←先頭へ]言葉は心の使い (ことばはこころのつかい)
言葉は心の中にある思いを表す手段である。考えていることは、自然に言葉に表われるということ。
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